オラニエンバウムからの後退
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「第23SS義勇装甲擲弾兵師団」の記事における「オラニエンバウムからの後退」の解説
レニングラード戦線への到着と同時に、シュタイナーの第IIISS装甲軍団はドイツ第18軍の所属となり、オラニエンバウム南部のKlopizyに司令部を設けた。軍団の戦区に到着した「ネーデルラント」旅団はオラニエンバウム西部のLutschkiに布陣した。彼らドイツ軍に対する現地のソビエト赤軍は、レオニード・ゴヴォロフ率いるレニングラード方面軍であった。 1944年1月14日、ソビエト赤軍はロシア、バルト諸国の領域からドイツ軍を駆逐することを目的とした大規模攻勢を発動、ゴヴォロフは隣接していたヴォルホフ方面軍(司令官キリル・A・メレツコフ(Kirill Meretskov)と共に攻撃を開始した。 ソビエト赤軍は初期の攻撃で戦線を防衛していたドイツ軍の2個空軍野戦師団を突破、両方面軍は先を争って進軍した。これによりシュタイナーはこれを止めるための編成を行った。「ネーデルラント」旅団は第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」と共にレニングラード方面軍を食い止めようとしたが、ヴォルホフ方面軍による包囲の危険性が生じたため、後退を余儀なくされた。 1944年1月26日、第IIISS装甲軍団はオラニエンバウム包囲陣からの後退を開始し、「ネーデルラント」旅団は1月28日朝に後退を開始した。旅団は150kmに渡って撤退戦を行い、新たにナルヴァ川で防衛線を確立することになっていた。1月30日にはエストニアのナルヴァ市北方のKeikinoに到着し、次いでナルヴァ市へ移動した。彼らはナルヴァ橋頭堡の北方中心部の防衛を担当することになっていた。
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