オラニエンバウムからの撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/02 22:59 UTC 版)
「カスペル・スポルク」の記事における「オラニエンバウムからの撤退」の解説
1943年12月31日にSS兵長に昇進したカスペル・スポルクは、「ノルトラント」師団とともにレニングラード戦線のオラニエンバウムへ向かった。1944年1月14日にソビエト赤軍はドイツ軍によるレニングラード包囲網を破り、ドイツ軍はエストニアのナルヴァへの撤退を開始した。 その途中である1944年1月26日早朝、「ノルトラント」師団所属の第11SS装甲偵察大隊第5中隊は記録に値する戦闘を経験した。グバニツィ(Gubanizy)において同中隊は3門の75mm対戦車砲と8両のSd Kfz 251/9(24口径7.5cm砲搭載支援車輌)をもって61両(資料によっては56両)のソビエト赤軍戦車と交戦し、そのうち48両(資料によっては31両)を撃破するという戦果を挙げたのである。そして、そのうちの11両はスポルクが指揮するSd Kfz 251/9が撃破したものであった。この戦闘における功績により、カスペル・スポルクSS兵長には1月30日付で二級鉄十字章と一級鉄十字章が授与された。
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