オペラツィヤ・トリユムフ
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「ヴカシン・ブライッチ」の記事における「オペラツィヤ・トリユムフ」の解説
ネゴティンでのルームメイトが電話で、オペラツィヤ・トリユムフの参加受付が始まっていることを知らせ、ヴカシンの代父が参加登録を行った。この時ネゴティンにいた本人は、大学への貢献にと、直ちに参加の準備を始めた。ベオグラードに戻り、それまでの音楽活動で稼いだ資金をすべてつぎ込んで、3箇月にわたって歌唱指導者のターニャ・アンドレイッチ教授(Tanja Andrejić)に師事した。オーディションを通過して参加が決まった後、他のセルビアからの参加者たちとともに、セルビア各地でプロモーション・コンサートを開いた。 ショーは2008年9月22日に始まった。初回は他の参加者とのデュエットであり、イヴァナ・ニコディイェヴィッチ(Ivana Nikodijević)とともにリブリャ・チョルバ(Riblja Čorba)の「Kada padne noć」と、メタリカの「Enter Sandman」を歌った。第2回では初めて脱落の候補となったが、その理由は告げられず、最終的に脱落は免れた。第8回では視聴者投票によって再び脱落の候補となった。ヴカシンとともに脱落候補となったジョルジェ・ゴゴヴ(Đorđe Gogov)は何度か視聴者の「お気に入り」となっていたが、ゴゴヴとの接戦の末、次回への進出を決めた。この時はエクストリームの「More Than Words」を歌い、ヴカシンのアコースティック・ギター演奏のスキルを見せ付ける名パフォーマンスとなった。またこの回ではジョルジェ・ゴゴヴとのデュエットでレニー・クラヴィッツの「Are You Gonna Go My Way」も歌った。その後、第10回にはニコラ・サリッチ(Nikola Sarić)と共に再び脱落の候補となった。サリッチも過去に何度か視聴者の「お気に入り」となっていたが、この時は視聴者投票によってサリッチに勝ち、次回への進出を決めた。このため、ゴゴヴとの競合の件とあわせて、ヴカシンは「お気に入り殺し」の異名を受けた。その後決勝まで進んだが、最終的にはアドナン・ババイッチ(Adnan Babajić)に次いで2位となった。公式発表によると、ヴカシンは30万票ほどを獲得している。ヴカシンはショーの中ではしっかり目立つ存在であり、あらゆる年代、そして旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の全ての地域から支持を集めていた。旧ユーゴスラビア地域を再び一つにした、と称えられ、ショーの審査員は「全ての参加者の中で最も平均レベルが高い」と評された。また、ヴカシンのコメント「掲示板に書き込む奴らは最悪だ。そして俺もその中の一人だ!」によって、掲示板利用者の間でも高い人気を集めた。
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