オペラツィヤ・トリユムフ後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 14:33 UTC 版)
「ヴカシン・ブライッチ」の記事における「オペラツィヤ・トリユムフ後」の解説
オペラツィヤ・トリユムフ終了後、セルビアからの同番組の参加者3人(ニコラ・パウノヴィッチ Nikola Paunović、ニコラ・サリッチ Nikola Sarić、ジョルジェ・ゴゴヴ Đorđe Gogov)と共にOTベンド(OT Bend)というバンドを結成した。 2009年2月23日、ヴカシンらOTベンドはソーニャ・バキッチ(Sonja Bakić)と共に、ジェームス・ブラントのベオグラードでのコンサートの前座を務めた。 OTベンドは、ユーロビジョン・ソング・コンテストのセルビア代表選考であるベオヴィジヤ2009に挑戦し、E.オーウェン、S.ヴクマノヴィッチ、E.ボトリッチによる楽曲「Blagoslov za Kraj」を披露した。3月7日の準決勝では、OTベンドは24得点を得て首位で決勝進出を決めた。翌日の決勝では、視聴者投票5万3550票のうち2万8521票を得て、視聴者投票では首位となり、最高得点である12点を得た。しかし、審査員投票では5点しか得られず、総合順位では次点に終わった。 2009年4月19日と20日、ヴカシンら、かつてのオペラツィヤ・トリユムフ参加者たちは、ベオグラードのサヴァ・センター(Sava Centar)で1万人の観衆を前にして2日間のコンサートを行った。ヴカシンはOTベンドの楽曲や、国内外のヒット曲のカバーを歌った。同年の夏、オペラツィヤ・トリユムフの参加者たちはモンテネグロ・ツアーを行い、中でもポドゴリツァでは大きな競技場(Stadion malih sportova)を使用して行われた。同国のヘルツェグ・ノヴィで開かれたスンチャネ・スカレ2009では、1日目の夜にプリンス賞(Prinčeve nagrade)が選ばれ、OTベンドとカロリーナ・ゴチェヴァの楽曲「Zaboravi」は「今年のブレイクスルー」賞に選ばれた。 2009年7月12日、ベオグラード・アリーナにてOTベンドはアナ・ベビッチと共に第25回夏季ユニバーシアードの閉会式でパフォーマンスを行った。この大会には145の国から8千2百人の参加者が集まっていた。 他のオペラツィヤ・トリユムフの参加者たちも各地でコンサートを行っており、OTベンドとアナ・ベビッチがウジツェ(Užice)で開いたコンサートでは、1万人が集まった。オペラツィヤ・トリユムフの参加者による「さよならコンサート」はこの年の年末にベオグラードのサヴァ・センターで行われ、彼らはこれをもってオペラツィヤ・トリユムフ「生徒」としての活動を終え、それぞれのキャリアを築く道へと旅立つとされた。 ヴォイカン・ボリサヴリェヴィッチ(Vojkan Borisavljević)の指揮によるセルビア国防省のスラニスラヴ・ビニチュキ楽団(Stanislav Binički)の演奏の下、ベオグラードのドム・シンディカタ(Dom sindikata)にてスウェーデンのバンドABBAのマンマ・ミーアと題するコンサートが行われた。OTベンドは、マーヤ・オジャクリイェフスカ(Maja Odžaklijevska)、ナダ・パヴロヴィッチ(Nada Pavlović)、ティヤナ・ダプチェヴィッチ、イェレナ・ヨヴィチッチ(Jelena Jovičić)、ミレナ・ヴァシッチ(Milena Vasić)、デヤン・ルトキッチ(Dejan Lutkić)、マリンコ・マジュガリ(Marinko Madžgalj)と共にコンサートに参加した。コンサートには在セルビア・スウェーデン大使館が出資しており、また特別ゲストとしてベオグラード・オペラのプリマドンナ、ヤドランカ・ヨヴァノヴィッチ(Jadranka Jovanović)が招聘された。 2010年1月11日、ヴカシン・ブライッチの楽曲「Munja i grom」が、ノルウェーのオスロで開催予定のユーロビジョン・ソング・コンテストの2010年大会に、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表曲として選ばれたことが発表された。
※この「オペラツィヤ・トリユムフ後」の解説は、「ヴカシン・ブライッチ」の解説の一部です。
「オペラツィヤ・トリユムフ後」を含む「ヴカシン・ブライッチ」の記事については、「ヴカシン・ブライッチ」の概要を参照ください。
- オペラツィヤ・トリユムフ後のページへのリンク