オットー (企業)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 16:04 UTC 版)
オットーグループ (Otto GmbH & Co KG)は、ドイツ・ハンブルクに本社を置く通信販売、電子商取引の企業である。
1949年にヴェルナー・オットーが通販カタログを発行。当時は28アイテムのみだったが、1960年代には電話による通販を始める。オットーは世界30カ国で123の子会社を持っている。
日本法人
1986年9月、住友商事と合弁で住商オットーメールオーダー株式会社を設立して日本進出[1]。東京都千代田区に本社を置き[1]、婦人服を中心としたファッションのカタログ通販事業を行ってきた。
1993年12月、アメリカのエディー・バウアー社との合弁で、日本法人のエディー・バウアー・ジャパン株式会社を設立[1]。
1994年1月、東京都中央区に本社を移転[1]。1999年2月、東京都八王子市に自社カスタマーサービスセンターを開設[1]。
2000年1月、インターネット通販を開始[1]。2005年10月、東京都世田谷区に本社を移転[1]。
2007年12月、オットージャパン株式会社 (Otto Japan Inc.) に社名変更[1]。
2009年に住友商事が株式を売却。
2020年7月31日に経営陣によるマネジメント・バイアウト (MBO) を実施し、オットージャパンの全株式をドイツのオットーグループから譲受してオットーグループから離脱[2]。これに伴い、同年8月13日にオットージャパンはノース・モール株式会社 (North Mall Co., Ltd.)に社名変更した[1][2]。新型コロナウイルス感染症の流行の影響もあり、取り扱い商品のジャンルを拡げてアパレル通販サイトからの脱却を目指すとしている[2]。
脚注
関連項目
外部リンク
座標: 北緯53度36分3.17秒 東経10度4分21.12秒 / 北緯53.6008806度 東経10.0725333度
「オットー (企業)」の例文・使い方・用例・文例
- プリンス・オットー・フォン・ビスマルクまたは彼の業績の、あるいはそれらに関するさま
- 962年に最初の皇帝としてオットー1世の教皇戴冠に始まってナポレオンによって解体される1806年まで続いた政治的存在
- 英国の物理学者(オーストリア生まれ)で、リーゼ・マイトナーとともに核分裂と命名した新しいタイプの核反応を、オットー・ハーンが作り出していたことを認めた
- スウェーデンの物理学者(オーストリア生まれ)で、オットーハーンとともに放射化学の分野で活動し、オットーフリッシュとともに核分裂の概念を明確に述べた(1878年−1968年)
- 英国の歴史家、ジョージオットー・トレベリアンの息子で、その作品は英国の社会史とガリバルディの伝記を含む(1876年−1962年)
- ある日,ピーターは著名な科学者Dr. オットー・オクタヴィウス(アルフレッド・モリーナ)を紹介される。
- 彼には別居中の妻マリー・アン(ミランダ・オットー)との間に2人の子ども,ロビー(ジャスティン・チャットウィン)とレイチェル(ダコタ・ファニング)がいる。
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