エピソード・家族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 07:52 UTC 版)
房錦の稽古量は少なくそれを嘆いた人もいると伝わるが、大鵬や柏戸にあれほど強かった事から考えても、もし人並以上の稽古をすれば大関になっていたのではという見方がある。上位に強いのに下位にはそれほど強くない点は北出清五郎にも突っ込まれている。 父・7代式守錦太夫の軍配で相撲を取った取組(1957年5月場所11日目(対時錦)・同場所14日目(対双ツ龍徳義))は話題になったが、双ッ龍戦で房錦に勝ち名乗りを与えた錦太夫の声は心なし震えていたとも、感情を押し殺すかのようにひどく早口であったとも言われている。このエピソードは、後に『土俵物語』として映画化もされた。 かつてGAORAなどでプロレス中継の実況をしていた松崎年男は長男であり、房錦が現役を引退し、年寄・山響を襲名した直後の1967年2月に誕生した。彼は2007年(平成19年)現在、相撲茶屋「上州家」(相撲案内所 八番)の会長代行を務めている。 酒豪でも知られており、野天で興業を行っていたある頃には午前9時に雨天中止が決定すると夕方までに日本酒を1斗飲んだ。 1961年5月場所7日目に行われた高砂一門座談会で司会の北出清五郎から場所中に行っている頭や体の休め方を聞かれ「まあ相撲終わってからあくる日、午前中は稽古するでしょう。だから昼飯食べてから昼寝するとかいうふうにして、人とあまり会わないようにしてますね。自分一人になるように」と答えている。 趣味はレコードで、現役時代は妻と二人で聴くことがあった。しかし本人曰く、レコードは富士錦の方が詳しいとのこと。前田川もレコードに詳しかったという。
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