エディルネの旧蹟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 22:01 UTC 版)
エディルネにはローマ帝国時代の遺跡はほとんど残っていない。わずかに市街に埋もれて東ローマ時代の城壁のごく一部と、「マケドニア人の塔」と呼ばれる物見塔が残っているだけである。 オスマン帝国時代の建造物の中でもっとも有名なものは、町の中央部の丘の頂上にあるセリミエ・モスクである。1569年から1575年まで足かけ7年をかけて建設されたこのモスクは、イスタンブールのアヤソフィアを越える直径31.5mの大ドームを持ち、大建築家ミマール・スィナンの最高傑作として名高い。そのほか、市街中央部の大建造物には、高さ68mのミナレットをもつユチュ・シェレフェリ・モスクや、1414年建造のエディルネ現存最古のエスキ・モスク、メフメト2世の父ムラト2世の建設したムラディエ・モスクなど、この町がオスマン帝国の首都であった時代に築かれたさまざまなモスクがある。 オスマン帝国の人々は狭苦しい市街に留まらず郊外地区に宮殿や別荘を盛んに造営した。エディルネ宮殿は市街の西を流れるトゥンジャ川の西岸に造営され、イスタンブールのトプカプ宮殿に次ぐ壮麗な規模を誇ったが、度重なる戦乱で破壊され現在では一本の塔と若干の廃墟が残るのみの、牧草地となっている。エディルネ宮殿跡の東を流れるトゥンジャ川の中洲はクルクプナルの野と呼ばれ、オスマン帝国時代以来、トルコの伝統格闘技であるヤールギュレシ(オイルレスリング)の会場となっている。 同じくトゥンジャ川の西岸には、メフメト2世の子バヤズィト2世が作ったモスク複合施設がある。オスマン帝国はこれら川向こうの施設と市街地をつなぐために多くの現存する石造りの橋がつくったが、なかでも町の南のカラアガチ地区やギリシャ国境検問所との間を結ぶ、メリチ川にかかるメリチ橋はミマール・スィナンの作品として有名である。また、カラアガチ地区には、オリエント急行開業当時にオスマン帝国側国境駅として開設されたカラアーチ駅の旧駅舎がトラキア大学の一部として残存している。 エディルネはバルカン戦争の激戦地であることから、戦争を記念する軍事遺跡やモニュメントが数多くある。
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