ウィンダム法
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「アーサー・バルフォア」の記事における「ウィンダム法」の解説
バルフォア内閣アイルランド担当大臣ジョージ・ウィンダム(英語版)の主導で1903年には新たなアイルランド土地購入法のウィンダム法が制定された。 この法律は強制的土地購入路線を否定し、あくまで自由契約の範囲内で農地の占有者への所有権移転を推進しようという法律の集大成であった。これまでのアシュバーン法とバルフォア法が基本的に土地購入代の前貸しのみを定めているのに対して、ウィンダム法は地主と小作人の間で土地売却契約が結ばれやすくなるよう誘導する規定が盛り込まれている。 この法律によって自作農創出のための機関「土地財産委員会」が設置されることになり、自作農創設の方式も保有地ごとから所領ごとに変更された。さらに地主への支払いを土地債権から現金に戻し、土地債権の価格変動で地主の売却意思が上下するのを鎮めた。2.75%利子付き土地債権は当時額面割れしていたので、これは地主に有利な規定であったといえる。土地財産委員会は2.75%利子付き土地債権を自ら金融市場に流して資金調達して地主への現金支払いを行う。 さらに法律施行から1908年11月1日までの5年間の特別規定として、地主が土地売却代金を有価証券に再投資した場合は、その地主に12%の「奨励金」を支払うことが規定された。これも地主の売却意欲を高めるための規定であった。小作人一人あたりへの貸付限度は7000ポンドに増額され、小作人は68年6カ月の期間、利子2.75%と償却費0.5%の合わせて3.75%の年賦金を毎年支払うことになるが、この額は当該小作地の小作料の裁定期に応じて減額される。この要件が満たされている場合には土地財産委員は視察を行わないとされており、この視察免除規定も土地売却契約の締結を大いに促した。 この法律はアイルランド自治を防ぐための融和政策の頂点であったが、結局アイルランド自治運動を沈静化させることはできなかった。それについてブレイク男爵(英語版)は「自由のために戦う民族を経済的な融和政策で抑圧することはできないことの実例である」と評している。
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