アシュバーン法
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「ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯)」の記事における「アシュバーン法」の解説
1880年代半ば以降の農業不況でアイルランドでは反地主運動が再び活発化した。 政権の基盤がアイルランド国民党との連携にあるソールズベリー侯爵内閣としてはアイルランド問題への取り組みが必要であったため、1885年にもアシュバーン法(英語版)を制定した(アイルランド大法官(英語版)アシュバーン男爵によって作成されたため、この名が付いた)。これは国家による地主の土地買収は避けつつも、アイルランド小作人が自作農になれるよう、低利・長期で土地購入費を融資することを目的とする法案だった。同法の制定により1902年までに2万5000人の小作人が土地を購入できた。 この頃にはアイルランド自治を決意していたグラッドストンは、ソールズベリー侯爵が続けてアイルランド自治法案を提出するとの期待をもつようになった。そうなったら保守党内から造反者が出るだろうが、自分がそれ以上の数の自由党議員を率いて賛成に回ればアイルランド自治が達成できると考えていた。 アイルランド総督カーナーヴォン伯爵も自治に前向きだったが、ソールズベリー侯爵は保守党の分裂を恐れて自治法案を提出する意思はなかった。しかしアイルランド国民党の支持を失わぬため、そのことは公言しなかった。
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