保守党の分裂
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ジョン・ラッセル卿の組閣失敗により女王はピールを召集して再び組閣の大命を下した。女王によれば、この時ピールは決意に満ちた表情であったという。彼は女王に「私には(党に持ち帰って)相談の必要はありません。考える時間もありません。私は陛下の首相を務めるつもりです。この非常時に陛下のもとを去るわけにはまいりません。味方が一人もいなくなっても責務を果たします」と語ったという。 保守党の長老ウェリントン公爵は保守党の分裂を恐れており、大命を拝辞することをピールに強く勧めたが、ピールの自由貿易への熱い想いを感じ取って最終的にはピールの決意を支持した。ピールは保護貿易主義者のスタンリー卿とバクルー公爵を外して組閣した。スタンリー卿の後任にはグラッドストンを置いた。 1846年1月に議会が招集されるとピールはただちに穀物法廃止法案を議会に提出した。党内の保護貿易主義者たちが反対運動を開始し、ベンジャミン・ディズレーリとジョージ・ベンティンク卿がその中心人物となった。とりわけディズレーリの辛辣な演説は大きな影響を与え、保守党議員が次々と造反してディズレーリの演説に声援を送り始めた。ディズレーリのピール批判は議会の礼節さえ無視した容赦のないものであり、ピールの弟ジョナサン・ピール(英語版)が怒ってディズレーリに決闘を申し込むほどだった。ピール当人も自分への罵倒が酷過ぎて放心状態になってしまい、議会が終わったことに気付かず一人議会席でうなだれ続けて守衛に注意されたことがあった。 結局穀物法廃止法案は保守党庶民院議員の三分の二以上の造反に遭いながらも野党であるホイッグ党と急進派の支持のおかげで庶民院を通過した。貴族院は庶民院以上に地主が多いので、更なる反発が予想されたが、ウェリントン公爵の権威で造反議員を抑え込んだ結果、法案は貴族院も通過し、穀物法は廃止されることとなった。 しかしディズレーリとベンティンク卿はピール内閣倒閣を諦めておらず、今度は同時期に提出されていたアイルランド強圧法案を否決させようとした。二人はこの法案でも70名ほどの保守党造反議員を出すことに成功し、この法案に反対するホイッグ党や急進派と連携して、1846年6月25日の採決において73票差で法案を否決させた。 これを受けてピール内閣は6月29日に総辞職を余儀なくされた。
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