ジャガイモ飢饉と保守党の分裂
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「ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事における「ジャガイモ飢饉と保守党の分裂」の解説
1845年夏にアイルランドでジャガイモ飢饉が発生した。これによりアイルランドでは100万人が餓死もしくは栄養失調で病死した。さらに100万人が新天地アメリカやカナダへ移民することを余儀なくされた(アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの曾祖父もその一人)。1841年時に800万人だったアイルランド人口が1851年には650万人に減るという惨状だった。 ヴィクトリアはライオネル・ド・ロスチャイルドが主宰する「アイルランドとスコットランドの貧民のための英国救貧協会」に2000ポンドの寄付をしている。これは同協会に寄せられた寄付金額の第一位であり、第二位のロスチャイルドとデヴォンシャー公爵(英語版)の寄付金額1000ポンドを大きく引き離す額だった。 ジャガイモ飢饉の深刻さを受け止めたピール首相はアイルランド人が安い価格の輸入穀物を購入できるよう、保護貿易主義の穀物法を廃止する決意をした。ヴィクトリア夫妻も貧しい民衆もそれを支持した。しかし、地主貴族など保守党内の抵抗勢力が穀物の自由貿易に強く反発したため、ピールは穀物法廃止法案と刺し違える形で1846年6月に辞職を余儀なくされた。 この騒ぎで保守党はピールを筆頭とする自由貿易派とダービー伯爵を筆頭とする保護貿易派に分裂しピール派がホイッグ党と連携したことでホイッグ党が議会の多数派になり、ホイッグ党首であるジョン・ラッセル卿に大命降下した。ヴィクトリアはラッセル卿の内閣で外相になったパーマストン子爵が親仏外交でアイルランド貧困問題を無視するようになるのではと心配していた。
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