イレネーについてとは? わかりやすく解説

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イレネーについて

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 11:41 UTC 版)

イレネー記念」の記事における「イレネーについて」の解説

競走名の由来となったイレネー1908年3月14日 - 1928年5月22日)はフランス生まれペルシュロン種牡馬。父ダミアン、母デース毛色青毛特徴流星珠目上・鼻白・後二白全身刺毛1910年馬政局政官丹下謙吉・土肥原鑑がフランスにて2400円で購入し日本輸入されると、十勝種馬牧場(現・家畜改良センター十勝牧場)にて種牡馬として供用された。イレネー1928年事故死亡するまでの18年間に1074頭と交配され597頭の産駒出したそのうち196頭が種牡馬となり、直系子孫363頭まで合わせる559頭が種牡馬となって全道分布し5万頭あまりの種雌馬配合されるなど大正時代から昭和初期にかけて大い繁栄し十勝地方における馬産の礎になったといわれている。当時公認競馬公営競技としてのばんえい競走行われておらず、主に軍馬農耕馬としての需要中心だった。 こうした功績称え1930年には十勝畜産組合全国でも類を見ない種馬銅像として、イレネー像を帯広市十勝公会堂前(現・帯広市西5条8丁目)に建立当時動物彫塑最高権威として知られていた帝室審査員池田勇八が、とくにイレネー体型酷似すると言われていたイレネーの直仔第28イレネー参考製作し同年8月10日除幕式が行われた。除幕式様子報じた当時十勝毎日新聞は「来賓800余り一般観衆2000余り集まった」と伝えている。旧イレネー像は太平洋戦争戦局悪化に伴う金属供出により1943年に一旦消失したが、1963年十勝農業協同組合連合会創立15周年記念して帯広競馬場前庭イレネー像の再建決定当初再度池田勇八に制作依頼したが、折衝中に池田急逝したため加藤顕清製作し1964年7月27日除幕式が行われた。

※この「イレネーについて」の解説は、「イレネー記念」の解説の一部です。
「イレネーについて」を含む「イレネー記念」の記事については、「イレネー記念」の概要を参照ください。

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