イタリア・ドイツ勢の争いとファンジオ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:10 UTC 版)
「F1世界選手権の歴史」の記事における「イタリア・ドイツ勢の争いとファンジオ」の解説
F1世界選手権は1950年5月13日のイギリスGPで開幕した。1950年代はヨーロッパ各国のGPに加え、世界選手権という名目上アメリカのインディ500もカレンダーに組みこんでいたが、実際は欧米間の交流は疎遠であった。 開幕時の構図はアルファ・ロメオ、フェラーリ、マセラティのイタリア3大ワークス・チームの争いとなった。アルファ・ロメオは「アルファの3F」と呼ばれるベテランドライバーを擁し初年度を全勝で飾ったが、1951年はフェラーリの猛追にあい、資金難のため撤退を強いられた。スーパーチャージャー式エンジンのアルファ・ロメオが去ったのち、F1では1970年代末まで自然吸気式エンジンの時代が続く。 1952年と1953年は参加台数不足の懸念からF2規定での選手権となった。フェラーリが2年間に15戦14勝と圧勝し、エースのアルベルト・アスカリは2連覇を達成した。 1954年にエンジン排気量を「自然吸気式2,500cc、過給式750cc」とする新規定が施行されると戦前の強豪メルセデス・ベンツが復帰し、斬新な技術を投入したマシンで再びGPを席巻した。1955年にかけて12戦9勝を挙げたが、ル・マン24時間レースで大事故を起こした責任から同年末にレース活動を休止した。その後はフェラーリ対マセラティの勝負となるが、イタリア勢はワークス活動の撤退や有力ドライバーの事故死などで徐々に勢いを失った。 この創成期において最も成功を収めたドライバーがファン・マヌエル・ファンジオである。8年間に5度のドライバーズチャンピオンとなり、2003年にミハエル・シューマッハに破られるまで46年間最多チャンピオン獲得記録者であった。
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