イエス・キリストとの親しい交わりを常に願い求めていた
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「チャールズ・シメオン」の記事における「イエス・キリストとの親しい交わりを常に願い求めていた」の解説
シメオンの性格は高慢で、短気だった。若いころ、年配の牧師宅を訪問した後に、その牧師の娘たちがシメオンの高慢さについて話したという一幕がある。牧師が、庭に行って桃を採って来るように娘達に言ったところ、娘たちは、まだ春だからもう少し待たなければ、と答えた。すると父は、「シメオン先生もそうだ。もう少し雨が降って、日に照らされたら、桃が甘くおいしくなるのと同じように、シメオン先生が成熟するのにも、もう少し時間がかかるのだよ」と言った。その後、シメオンは強い自制心をもって祈り、聖書を朗読し、罪と戦うことによって、敬虔な人となっていった。 彼は毎朝4時に起床し、8時までディヴォーション、その後、使用人との「家庭礼拝」の時をもった。しかし、その習慣は容易なものではなかった。それで寝坊した時には、自分への罰として女中にお金を渡すと決めた。ただある朝、暖かく心地良いベッドの中で、その女中は貧しいからお金をあげるのは親切なことだと考えて、寝続けてしまった。それで、以後そのように寝坊を正当化しないよう、金貨を川に投げ込むことを罰にすると決めた。一回しかやっていないという。 彼は、神様との交わりの大切さを神学生たちに次のように強調していた。 『神の御前で、自分の魂全体の状態がどうであるか、それがまず最初に考える点でなければならない。なぜなら、もし君たち自身の心が真に霊的な状態にあり、他の人々に語る、あるいは読む真理の上に、君たち自身が実際に立って生きているのでないなら、君たちの務めはほとんど果たされずに終わってしまうからだ。』」 また彼は、自分の罪の重さを感じようとしていた。 「神による究極的な受容という素晴らしい希望を抱きつつ、私は常に人々の前で陽気に振る舞えることを楽しんでいた。しかし同時に私は絶えず、神の御前でのへりくだりを最も深いところまで掘り下げようと苦心していた。神が私を赦して下さったという状況が、私が自分自身を赦さねばならない理由になるとは、決して思わなかったのだ。むしろ、神が私への怒りを鎮められたという確信が強まれば強まるほど、その分、自分自身をより嫌悪すべきだと思っていた(エゼキエル16:63)… この40年間、私がずっと見たいと願っていたものが、ただ2つある。1つは私自身の卑劣さであり、もう1つは、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光である。そして私は常に、それらは一緒に見られるべきものであると考えてきた。ちょうどアロンが全イスラエルのすべての罪を告白しながら、それらをいけにえのやぎの頭に置いたようにである。*病は人が治療を受けるのを妨げず、治療は人が病を自覚するのを妨げなかった。よって私は、ただへりくだり感謝する者となるのではなく、わが神、救い主の御前に絶えず、感謝の中でへりくだる者となることを求めているのだ。」 罪の意識から神に対する感謝と喜びが生まれた。ある友人がシメオンを訪問した時の状況が、次のように記録されている: 友人が「見ると、シメオンは神の御子についての黙想に没頭し、自分の魂に対する御子の憐れみの現れに圧倒されていた。そのあまり彼は、神の御子という生命あふれるテーマに心が満ち満ちて、一言も発することができずにいたが、しばらくして、ついに大声で力強く叫んだ。『栄光! 栄光! 栄光!』と。」
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