イエス・キリストの縁故に対する考え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 05:42 UTC 版)
「縁故主義」の記事における「イエス・キリストの縁故に対する考え」の解説
これについてイエスが述べたことが『マタイによる福音書』に残されている。 それゆえ、わたしとの結びつきを告白する人を、わたしもまた、天におられるわたしの父の前で、結びつきがあると告白するであろう。だが、人の前でわたしを拒む者については、わたしも天におられるわたしの父の前でその者のことを拒みます。わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、などと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘をその母に、嫁をしゅうとめに敵対(させるために来たのだ)。実際のところ、敵となるのは自分の家族の者であろう。わたしよりも父や母を愛するような者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。 — マタイによる福音書10:32-37 ウィキソース参照可 イエスは、本当の正義のために自分は来たのだ、大切なのは決して血縁や縁故などといったものではない、血縁を何の反省もなく優先してしまうような考え方は止めるべきで、そんな縁など壊してしまってでも、縁故者と敵対してでも、神ヤハウェとのつながりや、ヤハウェの眼から見て正しいことを行うことこそが何よりも大切なのだ、縁故などというものは 正しい信仰の敵だ、と述べたのである。
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