アーバックル砦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/18 15:07 UTC 版)
「タルサ郡 (オクラホマ州)」の記事における「アーバックル砦」の解説
1820年代から1830年代にアメリカ合衆国政府が合衆国南東部からインディアン準州にインディアンを移住させたが、タルサ郡となった地域を既に狩猟場として使用していた遊牧型部族の生活や態度にどのくらいの影響があるかは考慮されていなかった。まず、アーカンザス川とベーディグリス川の合流点に近くあったギブソン砦に接してクリーク族が移住してきた。しかし合衆国政府は新しい移民がアーカンザス川よりもさらに遠くまで移動するよう奨励した。土着のオーセージー族はバーディグリス川に近い土地を離れることに合意したが、それほど遠くまでは動かず、間もなく新着のクリーク族を脅かすようになった。 1831年、アイザック・マッコイ牧師とジェイムズ・L・ドーソンに導かれた集団が、ギブソン砦からシマロン川との合流点までアーカンザス川北岸を遡る道を切り開いた。1832年、ドーソンは軍事拠点となる場所を選定するために再度派遣された。彼が推奨した地点の1つは、シマロン川合流点から約2.5マイル (4 km) 下流の地点だった。翌年、ジョージ・バーチ名誉少佐と第7歩兵師団の2個中隊が「ドーソン道路」を辿って、その地点に進んだ。バーチは以前の上官であるマシュー・アーバックル将軍を立てて、その場所を「アーバックル砦」と命名した。 「オクラホマ歴史と文化の百科事典」に拠れば、この砦は現在のサンドスプリング市の西約8マイル (11 km) とのことである。著作家ジェイムズ・ガードナーが1930年代初期にこの場所を訪れた。その訪問記には、現在のタルサ郡とオーセージ郡を分ける線の直ぐ南、サンド・クリークに近いアーカンザス川の北岸にある砦を示す地図が含まれている。土地を切り払い小型のアーバックル砦が建設されたが、1834年11月11日には放棄された。倉庫や幾つかの煙突の残骸が100年近く後でも見られた。 この砦の跡は、1960年代に建設されたキーストーン湖に水没した。
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