アンバージャックの最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:27 UTC 版)
「アンバージャック (SS-219)」の記事における「アンバージャックの最期」の解説
アンバージャックからの最後の通信が発信されて2日後の2月16日、水雷艇鵯と第18号駆潜艇はコロンバンガラ島に兵員と補給物品を輸送する特設運送船能代丸(日本郵船、7,189トン)を護衛しラバウルを出撃した。出港後の15時28分、船団がニューブリテン島の最東端であるセント・ジョージ岬沖を通過中、船団の右側約4,000メートルから魚雷が4本向かってくるのを発見し、ただちに回避運動を実施して難を避けた。この際、上空を哨戒していた第九五八航空隊所属の哨戒機が、敵潜水艦が魚雷を発射した位置を発見したことを受け、15時34分に南緯05度05分 東経152度37分 / 南緯5.083度 東経152.617度 / -5.083; 152.617の海域でこれを攻撃した。また、15時40分には現場に急行してきた鵯が9個の爆雷を、15時46分には第18号駆潜艇が6個の爆雷を投下し、これらの攻撃の結果、多量の重油と外郭部分が海面に浮かんだ。16時前には第18号駆潜艇から再度3個の爆雷が投下された。16時20分、鵯が救命筏と思われる浮遊物を回収している。これらの大筋の内容は、アメリカ側が傍受した日本側の3月25日付の報告書の内容からのものであり、この攻撃によりアンバージャックは沈没したと考えられたと、3月29日作成の文書で記されている。 しかし、これと前後してグランパス (USS Grampus, SS-207) がほぼ同海域で失われており、撃沈されたのがアンバージャックであると断言することは不可能である。普通ならば、数々の証拠から2月16日の攻撃でアンバージャックは沈んだと考えられるが、仮にアンバージャックがこの攻撃を乗り切ったとすれば、グランパスのものとされる攻撃と目撃例のいくつかはアンバージャックによるものであったかもしれない。なお、日本側では「2月24日にこの海域で敵潜水艦を目視した」という報告があるが、これが事実となるとアンバージャックかグランパスのどちらかが、通説の喪失日を越えて健在だった可能性もゼロではない。 アンバージャックは第二次世界大戦の戦功で3個の従軍星章を受章した。3隻の船を含む総トン数28,600トンを沈め、14,000トンに損害を与えた。真珠湾潜水艦基地の下士官兵用のレクリエーション・センターは本艦に乗務して2月4日の銃撃戦で戦死したアーサー・C・ビーマンに因んで命名されている。アンバージャックの艦名はテンチ級潜水艦アンバージャック (USS Amberjack, SS-522) に継承された。
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