アラム・ハルファの戦いで敗れる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「アラム・ハルファの戦いで敗れる」の解説
ロンメルのアフリカ装甲軍は満身創痍状態のまま再び攻勢に出ることにした。これ以上時間をかけると補給能力の差で英軍ばかりがどんどん強化されるからである。この時点で独伊軍の戦車総数は430両ほどに回復していたが、ガソリンが確保できていなかった(ロンメルは攻勢のために3万トンのガソリンを求めていたが、8000トンしか確保できていなかった)。このためエル・アラメイン南の狭い地域から敵陣を突破してカイロまで一気に進軍するつもりだった当初の攻勢計画を、エル・アラメインの南から敵陣を突破した後に北上してエル・アラメイン東を取り、モントゴメリー率いる英第8軍の背後に浸透する計画に変更することとなった。 8月30日から8月31日にかけての真夜中に攻勢は開始された。しかし地雷が予想より多く、なかなか進軍できなかった。また砲兵隊の激しい砲火を浴びて打撃を受け、第21装甲師団長ビスマルク少将が戦死した。さらに朝になると英王立空軍の激しい空襲を受け、もっと激しい打撃をこうむり、アフリカ軍団長ネーリングも重傷を負い、戦線を離脱した。ロンメルはアフリカ装甲軍の要であるこの二人の脱落に動揺し、各師団に進軍停止命令を下そうとした。普段のロンメルなら構わず「マールシュ!(前進)」と命じていたはずの局面であった。参謀長バイエルラインが「今作戦を中止すれば地雷原突破のため犠牲になった兵士の死がすべて無駄になります」と進言したことで思いとどまったものの、大胆な作戦を遂行できるだけの精神力がロンメルから無くなり始めたことを如実に示す一幕であった。 攻勢は続行することになったものの、ロンメルは攻勢にあたって再び判断ミスを犯した。当初の計画ではアラム・ハルファ高地を大きく迂回してエル・アラメイン東に浸透する計画だったのだが、残りのガソリンの量を心配していたロンメルは最短距離で進軍しようとしてアラム・ハルファ高地の通過を命じた。しかしここはモントゴメリーが独軍通過ルートの本命と予想していた場所だった。待ち伏せていた英軍砲兵隊の激しい砲火を浴びた。しかもロンメルが進軍ルートに選んだアラム・ハルファ高地南方は地面が柔らかい砂漠で戦車の進軍に全く向いていなかった。地形に足を取られながら、3方向から砲撃を受けるはめとなった。9月1日にはロンメルも勝機を失ったと判断して全軍に攻勢中止と発起点への退却を命じた。 この戦いにおいても失われた戦車の数は英軍の方が多かったが、「砂漠の狐」の攻勢を撃退したという事実は低下する一方だった英軍の士気を回復させるに十分な効果があった。
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