アメリカ選手のバス乗り間違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 14:35 UTC 版)
「第31回世界卓球選手権」の記事における「アメリカ選手のバス乗り間違い」の解説
3月に中国チームは来日、愛知県体育館周辺には厳戒態勢がしかれ、中国チームだけ他国とは別のホテルが割り当てられた。4月4日、会場の愛知県体育館へ向う際にアメリカ合衆国のグレン・コーワンがバスを乗り間違えて中国選手団のバスに乗りこんだという逸話がある。当時中国選手にはアメリカの選手とだけは接触していけないという鉄の規律があり、外国人と接した場合にはスパイ扱いされる時代であったが、中国のエースである荘則棟はチームメートから反対されたにもかかわらず参加前に周恩来総理から「友好第一、試合第二」という言葉を受けたことを思い出し「アメリカの選手と中国の人民は友だちです」と言って握手をして杭州製錦織(西湖の風景が描かれていた)をお土産として贈ったという。この行為は2人のアスリートによる純粋で自発的なものだったが、中国はこれを外交的なカードとして利用することになった。 会場に到着したバスは報道陣に囲まれ、この出来事は大きく取り上げられた。アメリカ代表のハリソン副団長からアメリカチームを中国に招待してほしいという申し出があり、荘はそれを外交部に伝えた。中華人民共和国外交部は時期尚早と判断し、周恩来もそれに同調したが、毛沢東主席の鶴の一声により、アメリカ卓球チームの中国への招待が実現した。1971年4月10日、1949年に中国共産党による中国大陸制圧後初めて米国人が中国を公式訪問、その後パキスタンを通じた外交交渉の結果、ヘンリー・キッシンジャーが内密に中国を訪問するなどし、1972年2月にはリチャード・ニクソンが中国を訪問した際に人民大会堂で開かれたパーティーでは荘則棟が周恩来から大統領に紹介された。ピンポン外交により中国とアメリカが国交を回復するまで中国と国交を持っていたのはわずか32カ国であったがその後1年の間に100カ国以上が中国と国交を結んだ。 なおこの日、当時報道副委員長を務めていた長坂亘通は、元卓球アメリカ代表選手だった新聞記者から「今日は面白いことが起きるぞ」とささやかれていた。
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