アメリカ時代 迫害と亡命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 04:44 UTC 版)
「マックス・エルンスト」の記事における「アメリカ時代 迫害と亡命」の解説
1941年、エレノア・ルーズベルトの支援によって結成された緊急救助委員会 (ERC) によりマルセイユに派遣された米国のジャーナリスト、ヴァリアン・フライ(フランス語版)らの尽力により、スペイン経由でニューヨークへ脱出。経済的に支援した美術品収集家ペギー・グッゲンハイムと結婚するが、間もなく離婚(マックスの心中には未だキャリントンの存在があった)。この年ブルトンと和解、亡命シュルレアリスト・グループに加盟。 1942年、『雨後のヨーロッパII』制作。ニューヨーク、シカゴ、ニューオーリンズで作品展。オシログラフ(振動描画)を経てアクション・ペインティングに目覚める。シカゴにいた音楽家ジョン・ケージと接触をもち、ニューヨークの自宅に招く。 1943年、ドロテア・タニングと出会ってすぐ親密になる。 1946年、タニングと結婚。アリゾナに移住する。『ユークリッド』、彫刻『山羊座』制作。ハンス・リヒター監督の映画『金で買える夢』脚本協力。 1948年、アメリカ国籍を得る。
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