アミノバイタルAC所属時代
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「吉田香織」の記事における「アミノバイタルAC所属時代」の解説
2009年3月15日付でSWACを退部、その後資生堂時代の先輩にあたる谷川真理らが所属する、アミノバイタルACへ移籍する事を表明。同年8月30日、アミノバイタルAC所属選手として初のフルマラソンとなる北海道マラソンに出場、11位でゴール。 2010年2月28日の東京マラソンは、ゴール地点まであと残り800m迄迫りながら、冷たい降雨による低体温症で意識を失い昏倒、惜しくもリタイアとなった。同年7月4日のゴールドコーストマラソンでは、貧血気味で体調が万全で無い中、女子の部では2位選手に5分以上の大差をつけて優勝を果たした。同年10月10日のシカゴマラソンでは、初めて2時間30分を切る自己ベスト記録をマーク、8位ながらも日本女子のトップでゴールした。同年12月12日のホノルルマラソンでも、日本女子トップの3位でフィニッシュ。 2011年8月28日の北海道マラソンでは、中盤辺りで一人吉田だけ飛び出し一時独走状態となった。30Km地点では2位グループに3分近くの差をつけたが、その後ペースダウン。40Km手前で優勝した森本友に逆転され、その後嶋原清子と渋井陽子にも追い抜かれて結局4位に留まった。 ロンドンオリンピック女子マラソン日本代表を目指し、国内選考会の横浜国際女子マラソンと及び名古屋ウィメンズマラソンへそれぞれ出走したが、共に順位・ゴールタイムは平凡な結果に終わった。 2013年5月23日、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)は、吉田香織にドーピング違反で1月18日から1年間の資格停止処分を科したと発表した。4位に入った2012年12月のホノルルマラソンでの検査で、持久力を高めるエリスロポエチン(EPO)に陽性反応を示した事が理由で、ホノルルマラソンの成績も無効となる。2013年8月20日、日本スポーツ仲裁機構は、吉田に対して2年間の資格停止とする仲裁判断を下した。
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