アヘンチンキを用いた時代と著名人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 17:18 UTC 版)
「アヘンチンキ」の記事における「アヘンチンキを用いた時代と著名人」の解説
ヨーロッパではアヘンチンキを経口で服用してきたが、東南アジアや中国では喫煙での摂取が主流であった。喫煙の場合は中枢神経系に集中的に吸収されてしかも速効性であった。一方、経口では腸管吸収を経るため、アルカロイドが途中で代謝される場合が多く、遅効性であった。このためアジアの方がアヘンによって廃人となる人々が多かったと考えられる。 有名人にもアヘンチンキの愛好者が多かった。たとえば、アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの妻メアリー・トッド・リンカーンはアヘンチンキの常用者であり、イギリスの詩人サミュエル・テイラー・コールリッジも同様であった。詩人キーツや女流詩人であるエリザベス・バレット・ブラウニングもアヘンチンキの愛好者であったが、彼女の場合は、幼児期にわずらったカリエスの後遺症を治す目的があったといわれ、詩人としての活動には逆に幸いした。一方、アヘンのもつ魔力に溺れた人物もいた。トマス・ド・クインシーで、自らのアヘン体験記である"Confessions of an English Opium-eater(邦訳:英吉利阿片服用者の告白)"を1822年に発表している。元々クインシーは歯痛を抑えるためにアヘンを使っていたが、この書物はその後反響を呼び、詩人をはじめ芸術家に多大な影響を与えた。 一方で、画家で詩人のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは、精神錯乱の末アヘンチンキを多用して自殺したといわれる。また日本では、また、幕末から明治にかけての医師で、後に北海道に開拓民として移住した関寛斎がアヘンチンキをあおって自殺している。
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