エーガディ諸島
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エーガディ諸島 | |
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所在地 |
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所在海域 | ティレニア海(地中海) |
座標 | 北緯37度58分00秒 東経12度12分00秒 / 北緯37.96667度 東経12.20000度 |
面積 | 37.45 km² |
人口 | 4,300人 (2011年) |
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エーガディ諸島(イタリア語: Isole Egadi)は、イタリア・シチリア島の西海岸沖にある諸島。行政上、この諸島はシチリア州トラーパニ県のファヴィニャーナという基礎自治体(コムーネ)を形成している。
名称
ラテン語ではアエガテス諸島(Aegates)と呼ばれた。
地理
ファヴィニャーナ島、マレッティモ島、レヴァンツォ島、その他の小島からなる。
歴史
紀元前241年、アエガテス諸島沖の海戦によって第一次ポエニ戦争の決着がついた。
関連項目
アエガテス諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/01 02:28 UTC 版)
「アエガテス諸島沖の海戦」の記事における「アエガテス諸島」の解説
カトゥルスはシチリア西側の港湾都市であるリルバイウム(現在のマルサーラ)とドレパナ(現在のトラーパニ)の攻囲戦を再開し、同時に海上封鎖を行った。これはシチリアのバルカ将軍に対するカルタゴからの補給と連絡を絶つためのものであった。その年の残りの期間、カトゥルスはカルタゴの動きを待っていた。翌紀元前241年に、元老院はカトゥルスをプロコンスルに任命して引き続き軍の指揮を執らせた。 カルタゴ海軍は海上封鎖を破るために出撃したが、リルバイウムに向かのに好都合な風を待つために、ハンノはアエガテス諸島に艦隊を待機させた。しかし、このカルタゴ艦隊の動きはローマに察知され、カトゥルスは封鎖を解いて決戦に向かった。 3月10日早朝、カルタゴ艦隊に有利な風となったために、ハンノは直ちに出撃を命じた。カトゥルスは風に向かって攻撃することの不利と、ハンノをシチリアに到着させハミルカル将軍を救援させリルバイムが開放されることのリスクを秤にかけた。状況は必ずしも有利ではなかったが、カトゥルスはカルタゴ艦隊阻止のためにローマ艦隊に出撃を命じた。出撃前にマスト、帆、不要な物品を降ろし、荒天時の耐波性を向上させていた。カトゥルス自身は怪我のため戦闘に参加することができず、海戦での指揮は副司令官であるファルトが執ることとなった。 必要な物だけで海戦に望んだローマ艦は機動性に優れ、他方カルタゴ艦は人員、装備、食料品で重量が嵩んでいた。またカルタゴの乗員は厳しい徴兵で集められており、経験も不足していた。ローマ艦はその機動性を利用して直ぐに上手を取り、敵艦に対して衝角攻撃を実施した。約半数のカルタゴ艦が沈没するか鹵獲された。残り半数が無事だったのは、途中で風向きが変わりローマ艦隊から逃走できたためであった。この海戦で沈んだ何隻かのローマ艦・カルタゴ艦の衝角、積荷のアンフォラ、ヘルメットなどが発見されている。
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