ポエニ戦争での破壊(紀元前264年-紀元前241年)
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「エリュクス (古代都市)」の記事における「ポエニ戦争での破壊(紀元前264年-紀元前241年)」の解説
第一次ポエニ戦争(紀元前264年-紀元前241年)発生時には、エリュクスは再びカルタゴの手にあったことがわかっている。紀元前260年に、カルタゴの将軍ハミルカルが近隣に港湾都市ドレパナを建設し、住民をそこに移してエリュクスを破壊した。しかし、古い都市は完全には破壊されなかったようで、数年後にローマの執政官(コンスル)ルキウス・ユニウス・プッルス(紀元前249年の執政官)が自身を神殿と都市の最高管理官に任じている。神殿は強固に要塞化されていたようで、また山の頂上に位置することから、軍事的に強力な拠点とすることができた。このためハミルカル・バルカは長い間保持していたエルクテ山の拠点から突然にエリュクスに兵を動かし、山頂の神殿を攻略してそこを拠点としようとした。しかし、紀元前244年にエリュクスの占領には成功したものの、都市はエリュクス山の中腹にあったため、頂上にある神殿と要塞を攻略することはできなかった。他方でハミルカルはドレパナを維持し、エリュクス山麓のローマ軍に包囲はされていたものの、海上交通は維持されており、ドレパナおよびエリュクスが最終的に開城したのは、アエガテス諸島沖の海戦でローマ海軍が勝利し、カルタゴが講和を求めた後であった。
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