アイリッシュボール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 21:38 UTC 版)
「ボールドリック」の記事における「アイリッシュボール」の解説
*アイリッシュボール(Irish Ball) 主な勝ち鞍/アイルランドダービー[G1]、ダリュー賞[G2]、ワシントンDC国際[G1]2着、イギリスダービー[G1]3着。日本輸入種牡馬。 *アイリッシュボール Irish Ballの血統 (血統表の出典) 父 *ボールドリック黒鹿毛 1961 父の父 Round Table鹿毛 1954 Princequillo1940 鹿毛 Prince Rose Cosquilla Knight's Daughter1941 黒鹿毛 Sir Cosmo Feola 父の母 Two Cities鹿毛 1948 Johnstown1936 鹿毛 Jamestown La France Vienna1941 黒鹿毛 Menow Valse 母 Irish Lass鹿毛 1962 母の父 Sayajirao黒鹿毛 1944 Nearco Pharos Nogara Rosy Legend Dark Legend Rosy Cheeks 母の母 Scollata黒鹿毛 1952 Niccolo Dell'Arca Coronach Nogara Cutaway Fairway Schiaparelli *アイリッシュボールはボールドリックの2年目の産駒で、フランス産馬である。2歳の時にヘロド賞に勝ち、3歳になってアイルランドダービーに勝った。しかし、アイリッシュボールの評価としてはむしろ敗れた競走で知られており、イギリスダービーでミルリーフから4馬身半差の3着、ワシントンDC国際でアメリカチャンピオンのランザゴーントリット(Run the Gantlet)から6馬身差の2着、というのがそれである。 1972年にイギリスで種牡馬になると、その産駒がデビューするより早い1974年に23万5000ポンドで日本軽種馬協会が購入し、1975年1月に日本へ輸入した。母系には代々長距離血統が配合されており、スタミナを伝える種牡馬として大いに期待された。輸入の翌年、イギリスでの産駒ルーセント(Lucent)がオークストライアルに勝ち、さらに期待は高まった。ところが日本での初年度産駒39頭が競走年齢を迎えても1年目の勝馬はゼロで、アイリッシュボールは日高から栃木県へ移されてしまった。その後、供用地はさらに千葉へ移動して種付料は10万円まで下がり、最後は北海道大学の付属農場へ寄贈された。1987年までは産駒がいたが、その後は産駒は生まれておらず、1992年1月16日付で用途変更となった。 中央競馬での重賞勝馬はハセシノブだけだが、ハセシノブはオールカマー、新潟記念、新潟大賞典と重賞を3勝した。このほか地方競馬では石川県でスパニッシュボールが重賞を2勝した(中日杯・白山大賞典)。
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