豊島長崎の富士塚とは? わかりやすく解説

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豊島長崎の富士塚

名称: 豊島長崎の富士塚
ふりがな としまながさきのふじづか
種別 信仰用いられるもの
員数 1基
指定年月日 1979.05.21(昭和54.05.21)
所有者 浅間神社
所有者住所 東京都豊島区高松二丁目
管理団体名:
備考
解説文: 長崎富士塚は、富士講一派月三講【つきさんこう】(椎名町元講)によって、文久二年(一八六二)に築造されたもので、高さ約八メートル直径二一メートルで、塚全体富士熔岩おおわれている。周囲は、現在、住宅密集地帯となっているが、形状はよく保存されている。
 頂上石祠をはじめ、太郎坊大権現碑・亀岩八大龍王神碑・月三講の講碑・同行碑・登山道合目石・手水鉢など文久二年築造当時造立されたものも多く残存し(本号9頁写真参照)、文久三年永田講の講碑など他の講碑も建てられ明治以後の講碑も多く見られる
 都区内にある江戸時代築造富士塚の中では、原形を最もよく保ち庶民信仰様相を示すものとして重要である。



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