その他の五街道の解釈と定義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 19:48 UTC 版)
「五街道」の記事における「その他の五街道の解釈と定義」の解説
江戸幕府が上記五路をもって五街道としていた旨は、明治新政府が編纂した古事類苑地部道路の概説にもあり、これには以下の趣旨が書かれている。 徳川幕府は、江戸を起点とする東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中を五街道と称したこと 五街道のほか、水戸佐倉街道、伊勢路、中国路等を本海道と称したこと その他の支路を脇往還と称すること 実際には、江戸幕府が作成した伝馬宿拝借銭覚という書で日光道中と奥州道中を一つに合わせて佐倉街道をその書内で挙げていたり、また驛肝録も同様に佐倉街道を挙げながらもそれを水戸道中と称したりと、常に一貫した用い方がなされていた訳でもない。 なお、千住宿から派生して途中まで道中奉行の管轄下にあった水戸街道(水戸道中)を五街道に加えるという考え方も存在し、『地方凡例録』では途中宇都宮宿まで日光街道と重複する奥州街道を除いて水戸街道を加えている。また、文化8年(1811年)には江戸幕府が五街道に加えて水戸街道及びその脇街道であった佐倉街道(成田街道)を七街道としてその発着地の確認が行われている。ただし、道中奉行支配の地域は水戸街道は松戸宿まで、佐倉街道は八幡宿までと街道全体から見ても短い区間に限定されており、水戸・佐倉両街道は日光・奥州両街道の脇街道と位置づけられるのが通説である。「五街道」とは東海道など5幹線およびそれに付属する街道も含んでおり、5つの幹線を「五街道」と呼んでいたというよりは、道中奉行の管轄する街道の道筋を網羅した道筋の総称が「五街道」だったとの意見もある。 五街道の路線別延長、宿場間距離街 道 名起 点終 点距離(km)宿駅数宿駅間平均距離(km)区間数東海道江戸日本橋 大阪 575 58 9.7 59 中山道江戸日本橋 草津 530 67 7.8 68 日光道中江戸日本橋 日光 150 21 6.8 22 奥州道中宇都宮 白河 084 09 8.4 10 甲州道中江戸日本橋 下諏訪 214 22 9.3 23 計1553 177 8.5 182
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