かつておこなわれた漁法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:37 UTC 版)
鵜は冬、南方に渡りする途中を尾張国知多半島篠島海岸で捕獲した。捕獲法は、最初おとりとなる1羽の鵜の両眼の瞼を縫って仮に盲目とする。これを海上に露出する巌頭に置き、付近に黐ハゴを装置し、これに近づく渡りの鵜を捕まえるのである。これは島鵜とよんで、普通の鵜よりもやや大きく、身長約2尺、頸長8寸から9寸、体重650匁から860匁になる。捕まえた鵜も瞼を仮縫いして使用地まではこび、風切羽5,6枚を半ばから切り取り、縄付きで泳がせ、だんだん訓練する。使用年限はたいてい12年から13年間である。 鵜飼舟は長さ7間8寸、敷6間、幅中央3尺4寸、深さ1尺6寸5分。棹は艫乗りの使うものは長さ1丈5尺(艫棹)、中乗の使うものは長さ8尺5寸(中棹)。楫は艫楫の長さ7尺5寸、中楫の長さ6尺2寸。帆は長さ1丈2尺5寸、幅9尺5寸。檣は長さ1丈6尺5寸。ただし帆と檣は上流へさかのぼるときに用いるだけで、鵜飼と直接の関係はない。 松敷は篝用の薪を置く台であり、大小2個ある。手縄は鵜をむすぶ縄で、檜の繊維を撚りあわせたもので、長さ1丈。縄の端に鯨でつくった「ツモソ」という長さ1尺2寸の紐を付け、その末を島田にまげて鵜をつなぐ。 吐籠は鵜の呑んだ鮎を吐出させる竹籠で、口径1尺3寸、深さ1尺2寸5分。諸蓋は鮎を盛る器で、横7寸2分、縦1尺2寸、深さ1寸5分の檜製の盆。篝は鉄製で、火籠の深さ1尺、底径6寸、口径1尺4寸、これに長さ7尺5寸の柄をそえて、舟の舳に差し出す。松割り木は篝火用で、長さ1尺2寸ほどの松薪6貫匁を1束として、1艘に5束ずつそなえる。松明は脂松を適宜たばねて、随時使用する。鵜籠は鵜の運搬具で、幅3分の割竹で、縦1筋、横2筋、方1寸くらいの籠目に編みつくり、檜の4分板で蓋とする。籠中央に縦に仕切りをもうけ、一方に2羽ずつ4羽の鵜をいれる。留籠は使用後の鵜を1籠に2羽ずついれて鳥部屋に置くもので、製法は、鵜籠と同様である。 鮎は立春後およそ50日を経れば、やや成長し海口から河川の淡水にのぼりはじめ、5月になれば3寸くらいに成長する。鵜飼各戸はこれより前に準備するが、鵜飼は暗夜にかぎる漁法であるから、月夜を嫌い、上弦の夜は月入後、下弦の夜は月出前、上流から下流へ漁して下る。鵜飼舟は毎夜12艘が二手に分かれて漁するが、ときに連合し漁陣を張り、一斉漁業することもある(搦み)。鵜飼舟1隻には鵜匠1人、中乗1人、艫乗2人、計4人が乗り組み、鵜匠は舳で12羽、中乗は中央で4羽の鵜を遣い、艫乗は艫で舟の進退旋回の任にあたる。 鵜匠は鵜の鮎を呑んだ瞬間手応えでそれと察知し、ただちに引き上げ、吐籠に吐かす。豊漁の際には全部の鵜が一時に鮎を呑むこともあるが、鵜匠はいささかの遅滞もなく、それを取りさばく。鵜匠はその多忙のうちにあってなおあるいは篝の薪を添え、あるいは舟の進退に注意し、ひと呼吸の油断もない。
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