あだ名の謎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 15:54 UTC 版)
梁山泊108人中に女性は3人のみで、中でも随一の美女である扈三娘は「一丈青」というあだ名を持つが、このあだ名の意味はよく分かっていない。宋江三十六人賛では燕青の賛に「太行春色 有一丈青」と謳われ、『宣和遺事』では一丈青張横という人物が登場している(ただし一覧表には不在)。一丈は長さの単位であり、108人中最高身長の郁保四の背丈が1丈であるが、単に細長いものの形容としても用いる。青については刺青(入れ墨)を指すとするもの、蛇を指すとするものなどの諸説があるが、扈三娘は良家の女性という設定となっており、入れ墨をしているとは思えない。余嘉錫は『水滸伝』と近い南宋初の時代を描いた『三朝北盟会編』巻138に、盗賊馬皋の妻で一丈青という女性の記述があることを指摘し、これが水滸伝に取り入れられたものであると推測した。また岳珂による岳飛の編年譜『鄂王行実編年』にも、軍人・張用の妻で騎馬隊を率いて千人の敵にあたった女傑が一丈青と自称していたという記述がある。「一丈青」というあだ名はこれらの逸話が取り入れられた結果と思われる。 また、宋江はあだ名を2種類持っており、『水滸伝』本文中でほとんどの場合「及時雨」というあだ名で呼ばれる。これは宋江が貧しい人々に施しを与えることを「欲しい時に降る雨」にたとえたあだ名である。しかし、108人勢揃いの際に宋江の正式なあだ名とされたのは及時雨ではなく「呼保義」であった。呼保義とは保義郎(低位の武官の職名)と呼ぶ、という意味であり、本文中にそのような記述がないため、謎となっている。宮崎市定は保義郎の地位が金で買えたことから「旦那さん」という呼び名として用いられたものが宋江のあだ名に転用されたとし、余嘉錫は下男の謙称として保義が使われていたことから、宋江が謙遜した自称であろうとした。これに対し佐竹靖彦は、北宋時代の首都開封の繁栄を描いた『東京夢華録』や南宋時代の首都杭州の繁栄を描いた『武林旧事』などに、保義と名乗る宮廷芸人が多く登場することに注目し、雑劇や講談を語る芸人のことを保義と呼んだことが宋江のあだ名になったと推測している。宋江の弟宋清のあだ名が「鉄扇子」であり、これも講談に欠かせない小道具であることもこの説を補強する。『水滸伝』成立の上で講談・雑劇の果たした役割が、宋江のあだ名という形で残存しているとも言えよう。
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