『講談社』編集者時代
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2002年(平成14年)講談社に入社。もともと「文学者」になりたかった佐渡島。「文学者」という仕事は本を読んで作家の想いを推論、論文を書くこと。一方、編集者は本を読んで作家の想いを考えるところまでは同じ、それを直に作家に問い質せる。論じた内容の妥当性を学者同士で検証することよりも、自らそれを作家に伝え、そこから作家が刺激を受けてより面白い本を書いてくれる。佐渡島にとって楽しい作業で、はるかに意義があると感じた。すぐにのめり込んだ。 編集者という仕事に就いた原点は中学校時代に住んでいた南アフリカの原体験にある。人種隔離政策の撤廃を掲げたネルソン・マンデラの大統領選挙のとき、「ピースソング」と呼ばれた何気ない曲が人々の団結を深めている光景に強く心を打たれた。素朴で何気ないものが、誰かの心に力を与える事実。「役に立つものより、役に立たないもののほうが誰かの人生を変えることがある」ということに気づいたという。 入社後、週刊モーニング編集部にて『バガボンド』(井上雄彦)を担当。その後、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)なども担当する。 2007年(平成19年)『宇宙兄弟』(小山宙哉)連載開始。2012年(平成24年)にテレビアニメ化、実写映画化を実現させ、2019年(令和元年)末には2,400万部に達するメガヒットに育て上げる。 『モダンタイムス』(伊坂幸太郎)、『16歳の教科書』などの編集を担当。『ドラゴン桜』は佐渡島の「東大は甲子園に行くより簡単」という発言に三田紀房が興味を持ったことがきっかけで生まれた。『ドラゴン桜』がヒットを機に紹介された勉強法が面白いと話題になり、東大出身だった編集者の佐渡島がクローズアップされ、多数のメディアに紹介・出演するようになる。
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