『ハリマンの極東計画』とは? わかりやすく解説

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『ハリマンの極東計画』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 02:35 UTC 版)

桂・ハリマン協定」の記事における「『ハリマンの極東計画』」の解説

ハリマン提案から小村寿太郎によるハリマン協定撤廃までの経緯は、外務省小村外交史』によれば「言わば闇から闇葬られたもの」であり、当事者以外にはほとんど知られていなかった。これが広く知られるようになったのはジャーナリストジョージ・ケナン外交官として有名なジョージ・ケナン叔父)によって米亜協会機関誌亜細亜1917年5月号に掲載され、さらに同年カントリーライフ社から『ハリマン極東計画E. H. Harriman's Far Eastern Plans.)』という書籍出版され以降のことである。 E・Hハリマンは、アメリカ将来的太平洋において通商上の覇権掌握することを求め太平洋日本満洲シベリアヨーロッパ大西洋連結する世界一周交通ネットワーク確立してユーラシア商業アメリカ一手に握る遠大な計画立てた。そして、その手始め南満洲鉄道経営参画し、さらには東清鉄道シベリア鉄道買収考慮する算段立てたのであるハリマンは、との仮協定廃案になってからも自身計画諦めなかった。1906年春にクーン・ローブ商会ジェイコブ・シフ再来日してハリマン提案復活運動した。さらに、シベリア鉄道および東清鉄道買収についてロシア政府との交渉続けたが、1909年9月ハリマンとも縁の深かったウィラード・ディッカーマン・ストレイト(英語版)が錦璦鉄道錦州璦琿(現、黒河市)間鉄道敷設獲得する直前急逝した

※この「『ハリマンの極東計画』」の解説は、「桂・ハリマン協定」の解説の一部です。
「『ハリマンの極東計画』」を含む「桂・ハリマン協定」の記事については、「桂・ハリマン協定」の概要を参照ください。

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