『ひげのあるおやじたち』絶版回収事件
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「今江祥智」の記事における「『ひげのあるおやじたち』絶版回収事件」の解説
今江は「母の友」に1967年4月号から1968年3月号まで連載した長篇『ひげのあるおやじたち』(1970年11月10日、福音館書店から刊行)の第8章「八ばんのとうちゃん 非人頭甚五」における 非人たちは、いつもどこか死人のにおいがした。(112-113ページ) などの表現や、非人部落の描写である なんともかともいえぬにおいが、下のほうからむっとのぼってきたのだった。目のなかにまでしみるようなにおいだった。(116ページ) などの表現が部落差別を助長しているとされ、部落解放同盟から糾弾を受けたことがある。特に『解放新聞』編集長の土方鐵の意見は「(田島征三の)絵が汚い、汚く描いたところが差別だ」というものであった。 これに対して、自らの画風をかねがね「汚い」と評されて差別されることが多かった田島は「それこそ、差別じゃあないですか!」と言い返そうとしたが、今江は、1971年4月、「日本児童文学」誌に「わたしの中の"差別"」と題する反省文を発表し、早々と『ひげのあるおやじたち』を絶版・回収・裁断処分にすると決定(以後、全集にも収録していない)。この対応を“表現の自由を主張しないのは立派だ”と土方や宅間英夫ら部落解放同盟の関係者から讃えられた今江は、これ以後『タンポポざむらい』など差別に関する作品を執筆した時は宅間らに検閲を乞うに至った。特に宅間からは、京都市北白川の自宅を購入する際に「銀行をだまくらか」す便宜を図ってもらったという。その他、部落解放同盟大阪府連合会に招かれて講演をおこない、さらに部落解放文学賞童話部門の選考委員を20年以上にわたり務めていた。 その後この作品は38年の歳月を経て2008年に『ひげがあろうが なかろうが』に併録される形で部落解放同盟の出版部門である解放出版社から復刊された。このことにつき田島は「今回38年ぶりに、出たが、超分厚い本の中に飲み込まれてしまったし、タイトルカットのみで、見てもらいたいイラストレーションは一枚も入ってないのだ。タイトルカットにしても、原画がみつからず、印刷物からの複写だから迫力に欠ける。今回の出版社は部落解放同盟の出版、要するに三十八年前の絶版は早とちりということなんですね」と評している。
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