『ひとりね』
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『ひとりね』は享保9年(1724年)・24歳の時に執筆した随筆。同年に柳沢氏は大和国郡山への転封を命じられており、その直後から数年の間に記されたと見られている。文章は鎌倉時代の随筆『徒然草』や井原西鶴、江島其磧の用語を取り入れ、和文に漢文体を混ぜていると評されている。 内容は江戸・甲府における見聞で、特に遊女との「遊び」の道について記されていることで知られる。ほか、甲斐の地誌や甲州弁の語彙を記していることでも知られる。原本は現存せず数十種の写本が知られ、明治期にも出版されている。戦後には1965年(昭和40年)に『日本古典文学大系』に収録。
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