「JYJ」誕生
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それから約2週間後の同年9月29日、3人はそれぞれの名前の頭文字をつなげた「JYJ」というグループ名で世界デビューすることを発表。これに伴い、『ザ・ビギニング』と名付けられた英語詞アルバムはアジアだけでなく、ワーナー・ブラザース・レコードを通じて米国でもリリースされることになった。同作には自作曲も収録されていたが、メンバーらはそれらに固執するつもりはなく、リード曲にはカニエが手掛けた「エー・ガール」(Ayyy Girl) が選ばれた。 このアルバムは同年10月に韓国でリリースされ、同時に3人はプロモーションのためにアジアや米国各地を回る有料 ライブ・ツアー「JYJワールドワイド・ショーケース」を韓国ソウルからスタートさせた。韓国ではリリース前、まだ3人の専属権を持つと主張するSMエンターテインメントから発売差し止めの仮処分が申し立てられ、またJYJを前例とした強行移籍の続発を阻止したい 業界団体の韓国大衆文化芸術産業総連合からも「二重契約」を理由にJYJのテレビ出演や楽曲配信を見合わせるよう各事業者に要請が出されるなど の出来事があったが、要請を受け入れる事業者は現れず、仮処分もリリース直後に取り下げられたため、通常通り販売された。結局、同アルバムはリリースの前後に放送されたKBSドラマ『トキメキ☆成均館スキャンダル』への主演により急上昇したユチョン人気にも支えられて、韓国で同年末までに3形態合わせて、レコード会社による集計を元にしたガオンチャートで約29万枚、小売店での売上を元にしたハントチャートで約13万枚 の売上を記録した。 『ザ・ビギニング』は韓国に続き、米国でもまず同年11月からデジタル配信された。3人はこれに合わせてビルボード誌に記事広告を出稿して、同誌の広告用表紙を飾るなどのプロモーションを展開したのち、同国でのショーケース・ツアーに突入。だが直前に、米国政府から公演に必要な芸能ビザ(P-1ビザ)の発給を拒否され、最初のハワイ公演が中止に追い込まれた。そのため、3人は急きょ米国での残り3公演を無料公演に切り替え、どうにかツアーを完遂したが、この一件はのちに、同興行権を持つ投資勧誘者やシージェス・エンターテインメント代表らがツアーの投資者から詐欺容疑で刑事告訴されるなど尾を引いた。この事件は、2012年11月24日、シージェス・エンターテインメント勝訴で終結している。
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