「ASA」と海外進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 19:24 UTC 版)
『0音』で新国は、その当時まだ国際的な前衛詩運動の存在を知らなかったにもかかわらず、アルファベット語圏のコンクリート・ポエトリーとほぼ同じ方法論にたどり着いた。そのため『0音』を受け取ったピエール・ガルニエは「異なった言葉で私と同じようなことを目指し、同じような作品を発表している」ことに仰天し、2人の交流がはじまった。のちにガルニエは新国と『日仏詩集』を刊行し、その中で「ミクロポエム」などの作品を提示した。また漢字圏、表意文字圏の作家として海外から注目され、作品の出品依頼も相次いだ。新国はこのような交流をへて、『0音』以降、コミュニケーションの重視、グラフィックデザイン的構成という手法に転換した。しかし決して漢字による表現から離れることはなかった。 新国は「ASA」で『川または州』『雨』などの代表作を発表している。文字はより面的に配置され、面としての全体的な視点と、それぞれの文字への視点が同時に生じる。また『闇』のように「闇」という漢字から「音」という漢字が抜け出すと言った表現もみられ、使用される漢字も明朝体からゴシック体が用いられるようになる。このような漢字のパーツ化、字体の変化は、海外を意識した欧文化であると考えられている。 またこの時期の作品から、作品に用いられている漢字の意味を英語で注記する、と言ったスタイルが見られる。例えば『嘘』(1966年)では「(口)=mouth (虚)=void (嘘)=lie」といった注記がつけられている。これは新国が海外からの依頼に答えたためである。 新国自身は、これらの視覚詩を美術との境界領域であると見なされることを嫌い、写真などによる詩の可能性も否定している。しかし実際には、絵と詩の結びつきという視点で作品を語られることもあり、詩による空間構成が美術の領域に近づくことは避けられないという意見もある。
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