「賭」と和解とは? わかりやすく解説

「賭」と和解

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 15:29 UTC 版)

山椒魚 (小説)」の記事における「「賭」と和解」の解説

井伏は「山椒魚」(「幽閉」)の着想を、アントン・チェーホフ短編小説「賭」から得ていると複数媒体述べている。 実はこれはその頃読んだチェホフの「賭」に感激して書いたもので、「賭」のモチーフである。人間絶望から悟りへの道程書こう思ったので。もっとも悟って行くところは書こうとすると、自分裏付けがないからどうしても説明になるのでやめた。 「山椒魚」は悟りにはいらうとして、はいれなかったところを書きたかったのに、尻切れとんぼになっちまった。 チェーホフの「賭」は1889年、『ノーヴェオ・ヴレーミャ』誌に「おとぎばなし」の題で発表されたものが初出で、その後1901年全集収録されにあたり改稿が行われている。井伏が読んだのはこの改稿後の作をコンスタンス・ガーネット英訳したのである。「賭」の筋は、ある青年法学者実業家賭けをし、15年間人との交わり絶って幽閉生活」を自ら送ってみせるというもので、当初孤独に苦し法学者は、長年書物の世界親しむうちに「地上の幸福のすべてや叡智」をも軽蔑する至り15年後、賭の賞金である200ルーブルの金を自ら放棄しふたたび幽閉生活に戻っていく。 チェーホフ短編にあるのはむしろ人間無知に対す激し軽蔑情念のであるが、井伏はこれに東洋風の「悟りへの道程」を見て取った自身の「山椒魚」(「幽閉」)でも、もともとは閉じ込められ山椒魚外部世界価値体系超えた叡智や生の在り方を描くつもりであったのだと考えられる。「幽閉」に表れる悟入」「考究」「静けさ溶液」といった言葉はそうした意図反映したものと見られるが、しかし「幽閉」では結局山椒魚の「悟り」もその必然性描かれず、「悟りへの道程」を描くという観点からは明らかな失敗終わっている。 「幽閉」を改稿した「山椒魚」では、新たな要素としてとの対話導入される幽閉生活によって「よくない性質帯びて来た」山椒魚岩屋飛び込んできた閉じ込める。しかし3年月日が過ぎ、「しきりに杉苔花粉の散る光景」を見て思わず嘆息洩らしたに、山椒魚は「友情を瞳に込めて話しかけ、その対話が「今でもべつにお前のことをおこつてはゐないんだ」という、末期許し言葉に続く。このように和解にいたる山椒魚に「悟り」を見て取ることもできなくはないが、しかしこれは「悟りの道程」というよりは、むしろ時間の経過や自然の営為重ねられ日本的な融和和解の姿であったこのように考えれば60年経たこの「和解」の場面削除意図は、「悟りへの道程(またその断念)」という、もともとのモチーフにふさわしからぬ部分を除くことにあったとも考えられる

※この「「賭」と和解」の解説は、「山椒魚 (小説)」の解説の一部です。
「「賭」と和解」を含む「山椒魚 (小説)」の記事については、「山椒魚 (小説)」の概要を参照ください。

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