悟りの道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 18:26 UTC 版)
ゴータマがさとりを開き、最初の説法をしたときよりも後におこったとされる鹿の園での悪魔の誘惑の伝説は、悟った人でも悪魔の誘惑は依然として存在していることを示していて、それらの誘惑を断固として斥けつづけてゆくことのうちに、真のさとりがあるとされている。 初期の教えにおいて、悟りの道を歩んでゆく人の道筋には、世間を覆っている無明というものから抜け出るまでは、無我という観点から、実体的なものと考えられやすい身体的な自己を調御してゆくことがその始まりにあるとされた。そして煩悩の汚れを滅ぼしつづけることにより窟のうちに留まっているたましい(霊)を解脱するという観点から、真人の我となることを目的としてゆくということが、悟りへの道であると説かれていたようである。真の悟りとはさとりの道を歩むことであることのもう一つの大きな特徴は、三つの束縛について学ぶだけで、自他を含めて、聖者の流れに踏み入ることになるとされていたことである。
※この「悟りの道」の解説は、「初期仏教」の解説の一部です。
「悟りの道」を含む「初期仏教」の記事については、「初期仏教」の概要を参照ください。
- 悟りの道のページへのリンク