鹿の園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 05:02 UTC 版)


鹿の園(しかのその、フランス語: Parc-aux-cerfs [paʁk.o.sɛʁ])は、フランス革命以前のフランスの貴族が鹿などの狩猟を行うために森林を開いた場所のことである[1]が、歴史的に最も有名なのは、ヴェルサイユ宮殿の森の一角と、そこにあるルイ15世所有の邸宅のことである。ここにはルイ15世の複数の愛人が住み、国王の呼び出しに応じてそこから連れ出されていた。
一説によれば、この邸宅に住まわせる女性の選定など、この邸宅に関する一切の取り決めは、ルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人が管理していた。パドゥール夫人は、国王とかなり近しい立場を取りつつも、肉体関係は持っていなかった。ただし、ナンシー・ミットフォードによるポンパドゥール夫人の伝記には、鹿の園にはポンパドゥール夫人は無関係であったとある[2]。実際には、ルイ15世のヴァレ・ドゥ・シャンブル(私的な使用人)であるドミニク・ギヨーム・ルベルが鹿の園の愛人の選定をしていた[3]。
1752年から1768年にかけて、この邸宅には多くの大人の女性や少女が住み、しばしば複数人が同時に住んでいた。その多くが身元不詳の人物だった。鹿の園に住んでいた有名な愛人として、マリー=ルイーズ・オミュルフィ(1752年 - 1755年)とその妹ブリジット・オミュルフィ(1755年 - 1757年)、「ヴェロン・ド・セラン夫人」こと ジャンヌ=マルグリット・ド・ニケ(1754年)、ジャンボヌ夫人マリー・ルイーズ・ド・マルニ(1758年)、マルグリット=カトリーヌ・エノー(1759年 - 1762年)、リュシー・マドレーヌ・デスタン(1760年 - 1763年)、ルイーズ・ジャンヌ・ティエルスラン・ド・ラ・コレトリー(1762年 - 1765年)、マリー・テレーズ・フランソワーズ・ボワスレ(1768年)、「マルス夫人」ことジャンヌ=マルグリット・サルヴェタ(1768年)などがおり、最後の住人はデュ・バリー夫人(1768年)だった。この邸宅は1771年に売却された。
脚注
- ^
前述した1つ以上の記述には現在パブリックドメインである次の出版物からのテキストが含まれている: Wood, James, ed. (1907). “Parcs-aux-Cerfs”. The Nuttall Encyclopædia (英語). London and New York: Frederick Warne.
- ^ "The King's Birdcage", Versailles blog, 7 May 2013
- ^ Patrick Wald Lasowski, L'Amour au temps des libertins, Editions First-Gründ, 2011
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