「表現の不自由展・その後」開催開始から中止まで
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「あいちトリエンナーレ」の記事における「「表現の不自由展・その後」開催開始から中止まで」の解説
慰安婦問題を芸術祭に持ち込めば運営に大きな支障が生じることは2014年のアングレーム国際漫画祭で実証されていたが、「炎上のプロ」を自任する津田は、国際美術展の原則である写真撮影とSNS投稿は自由という国際慣習を禁止し、報道機関に対しても、企画内容によっては取材に応じられないこと、報道前に記事の内容を提出することを義務付ける検閲を設けた。 開催当日から表現の不自由展に対しての抗議は殺到し、翌日に津田は記者会見を開き「平和の少女像の内容の変更も含めた対処を考えている」と表明したが事態は好転せず、嫌韓感情を焚きつけられた愛知県民が京都アニメーション放火殺人事件を模倣した犯罪予告を行う事件も発生した。愛知県知事を兼ねる実行委員会会長の大村は、対応する愛知県職員の疲弊に加えて、7月18日の京都アニメーション放火殺人事件を考慮した結果、芸術祭全体の運営に支障をきたすとして『表現の不自由展』を自主規制で閉鎖することを決断し『表現の不自由展』は展示中止となった。 閉鎖後、津田は「『表現の不自由展・その後』は、100個近くある企画のうちの1つ。初めてあいちトリエンナーレに来場した方は5割以上にのぼる。これまで美術に興味がなかった方々が来てくれていて有難い。正確な数字は出ていないが、前回の来場者を上回っている。あいちトリエンナーレはまだ2カ月近く開催されているので、ぜひ会場に足を運んでもらいたい。」と語ったが、8月5日に大韓民国文化体育観光部のキム・ジンゴン報道官が「愛知県で我々の『平和の少女像』展示を中止した残念な状況が生じている」と遺憾を表明し、翌日の6日には、大韓民国外交部のキム・インチョル報道官が「被害者の傷の癒やしや名誉回復に反する行為で、非常に遺憾」と表明するなど、炎上は日韓の外交問題にまで延焼していった。
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