「花咲く野原のルーシー」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 03:14 UTC 版)
「バッドアート美術館」の記事における「「花咲く野原のルーシー」」の解説
直に接した来場者が夢中で語りあうような作品がMOBAには少なくない。「花咲く野原のルーシー」(作者不詳のキャンバスに描かれた油絵。ボストンのごみの中からコレクションに入った)などはいまもマスコミやファンからの人気が高い。「ルーシー」は、美術館が初めてコレクションした作品になったときから、いまに至るまで「後世の人に自分を伝えよと命じる非常にパワフルな絵」のままであり続けている。この絵は、その後MOBAが作品を獲得するにあたって必ず引き合わされる一つの基準となっただけでなく、MOBAの創設者にこんな質問を投げかけさえする。スコット・ウィルソンが「ルーシー」を発見したのだろうか、それとも彼女がウィルソンを発見したのだろうか、と。 モントリオール・ガゼッタのケイト・スワガーはこの「ルーシー」を「素晴らしい失敗」と呼び、こう述べている。「緑豊かな春の野原で、年配の女性がたるんだ胸をあちこちへ揺らして踊っているけれど、彼女はどういうわけか片方の手で背中に赤い椅子を抱え、もう一方の手でヒナギクを掴んでいるようにみえる」。作家のキャッシュ・ピーターズはもっと落ち着いた言い回しでこうまとめている。「尻にアームチェアをくっつけている老女」だと 。 MOBAは「ルーシー」に関して次のようなコメントを出している。「動き、椅子、スエーする胸、空の微妙な色、彼女の表情。すべてのディテールが組合わされて圧倒的な、人を引きつける肖像画が誕生した。どのディテールも「名作だ」と叫んでいる」。タイムズ紙はこの肖像が投げかける「無限に積み重なった謎」に触れた来館者が残していく言葉を書き留めている。「なんでノーマン・メイラーの頭が罪もないおばあちゃんの体の上にのっているんだ。あの丘をかすめて飛ぶのはカラスか、それともF-16か?」 「ルーシー」の孫であるボストン地区の看護婦スーザン・ローラーは、この肖像画を新聞で見たことがきっかけでMOBAのファンになった。彼女はすぐにモデルが祖母のアンナ・レイリー・キーン(1890年 - 1968年ごろ)だと分かったのである。写真でみたローラーは、驚きのあまりコカ・コーラを鼻で吸ってしまったという。この絵は彼女の母の注文したもので、完成した絵をみた家族が恐怖におののいたにもかかわらず長い間叔母の家にかけられていた。ローラーはこう言っている。「顔は記憶のなかにある祖母の顔ですが、それ以外はひどい間違いばかりです。胸が一つしかないみたいじゃないですか。手と足は何がどうなったのかわかりませんし、この花と黄色い空はどこから来たのかも知りません」。
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