「津波てんでんこ」の成立
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「津波てんでんこ」の記事における「「津波てんでんこ」の成立」の解説
「津波」と「てんでんこ」をつないだ「津波てんでんこ」がこの形で古くから言い伝えられたものではないことは、山下文男自身が著書『津波てんでんこ』でハッキリと明言している。1990年11月に岩手県田老町で開催された「全国沿岸市町村津波サミット(第一回)」において山下文男は、防災の意識に関して、次のような家族のエピソードを語った。したがって、「津波てんでんこ」のように「津波」とセットされた形での使用の起源は定かではない。 山下が9歳のころ(1933年)の昭和三陸津波では、彼の父や兄弟は彼を置き去りにして逃げた(山下は末っ子)。山下の母は、後年に父親の非情さを度々なじったが、その都度、山下の父は「なに!てんでんこだ」と反論したという。山下の友人も多くは同じように置き去りにされており、集落内では「津波はまず各々が逃げることが大切」という行動規範は浸透していた。そうした点を踏まえ、山下の父の言葉は「こういうときは、みんなバラバラに逃げるものだ」と端的に述べたものと考えられる。 1990年のサミットで語った上記エピソードがとくに注目され、講演に参加した有識者ら(広井脩、阿部勝征、津村建四朗、伊藤和明、渡部偉夫)とのやりとりのなかで「津波」と「てんでんこ」を合成した「津波てんでんこ」という言葉ができた。このような経緯を経て、防災の意識を高めるための標語として「津波てんでんこ」という言葉が1990年以降に使われるようになったのである。 その後、北海道南西沖地震(1993年)や北海道十勝沖地震(2003年)などで津波の被害が出るたびに、「津波てんでんこの話が被災地にもっと普及していれば……」とマスメディアに標語が取り上げられる機会があり、しだいに昔からある言い伝えかのような誤解が広がっていくことになる。2003年9月27日の朝日新聞の社説には、「三陸沖やチリの地震で津波の被害に何度もあっている三陸地方には、津波てんでんこという言い伝えがある」とはっきり書かれ、古い言い伝えであるという印象を抱かせる内容になっている。なお、釜石市両石町では、標語の形ではないが、「津波起きたら命てんでんこだ」と昔から伝えられてきたという。
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