「津波てんでんこ」の成立とは? わかりやすく解説

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「津波てんでんこ」の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 06:00 UTC 版)

津波てんでんこ」の記事における「「津波てんでんこ」の成立」の解説

津波」と「てんでんこ」をつないだ津波てんでんこ」がこの形で古くから言い伝えられたものではないことは、山下文男自身著書津波てんでんこ』でハッキリ明言している。1990年11月岩手県田老町で開催された「全国沿岸市町村津波サミット第一回)」において山下文男は、防災意識に関して次のような家族エピソード語った。したがって、「津波てんでんこ」のように「津波」とセットされた形での使用起源定かではない山下9歳のころ(1933年)の昭和三陸津波では、彼の父や兄弟は彼を置き去りにして逃げた山下末っ子)。山下の母は、後年父親非情さを度々なじったが、その都度山下の父は「なに!てんでんこだ」と反論したという。山下友人多く同じよう置き去りにされており、集落内では「津波はまず各々逃げることが大切」という行動規範浸透していた。そうした点を踏まえ山下の父の言葉は「こういうときは、みんなバラバラ逃げるものだ」と端的に述べたものと考えられる1990年サミット語った上記エピソードがとくに注目され講演参加した有識者ら(広井脩阿部勝征津村建四朗、伊藤和明渡部偉夫)とのやりとりのなかで「津波」と「てんでんこ」を合成した津波てんでんこ」という言葉ができた。このような経緯経て防災意識高めるための標語として「津波てんでんこ」という言葉1990年以降使われるようになったのであるその後北海道南西沖地震1993年)や北海道十勝沖地震2003年)などで津波被害が出るたびに、「津波てんでんこの話が被災地にもっと普及していれば……」とマスメディア標語取り上げられる機会があり、しだいに昔からある言い伝えのような誤解広がっていくことになる。2003年9月27日朝日新聞社説には、「三陸沖チリの地震津波被害何度もあっている三陸地方には、津波てんでんこという言い伝えがある」とはっきり書かれ、古い言い伝えであるという印象抱かせる内容になっている。なお、釜石市両石町では、標語の形ではないが、「津波起きた命てんでんこだ」と昔から伝えられてきたという。

※この「「津波てんでんこ」の成立」の解説は、「津波てんでんこ」の解説の一部です。
「「津波てんでんこ」の成立」を含む「津波てんでんこ」の記事については、「津波てんでんこ」の概要を参照ください。

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