「日本」の前身としての「倭」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 19:52 UTC 版)
「倭国」および「倭人」も参照 倭については、中国正史で記述されている。後漢書倭伝や魏志倭人伝、晋書倭人伝、宋書倭国伝、南斉書倭国伝、梁書倭国伝、隋書倭国伝、北史倭国伝、南史倭国伝などに記述されている。史書に現れる中国南東部にいたと思われる倭人や百越の人々を含んだ時代もあったという意見もある。中国人歴史学者の王勇によれば中国の史書に現れる倭人の住居地は初めから日本列島を指すとしている。倭国の領域は、隋書や北史では、東西に五カ月で、南北に三カ月とされる。 倭(ヤマト国家)は、大王を中心とする諸豪族による連合政権であった。大王は、元来大和地方(現奈良県)の王(キミ)であったが、5世紀ごろから大王と呼ばれるようになった。ヤマト国家では、有力豪族によって大王が擁されたり、廃されたり、場合によっては殺害されることもあり、実質は有力豪族たちによって運営されていた。そのため有力豪族同士の権力争いも絶えなかった。氏を持つ血縁を中心につながる一族が、身分(姓)を与えられていた(氏姓制度)。 『日本』と言う国名は、大化の改新によって『天皇』という称号とともに使われるようになった。天智及び天武朝において始まったとされるが、いずれにしても7世紀後半のことである。
※この「「日本」の前身としての「倭」」の解説は、「倭」の解説の一部です。
「「日本」の前身としての「倭」」を含む「倭」の記事については、「倭」の概要を参照ください。
- 「日本」の前身としての「倭」のページへのリンク