「乗濱」と「安婆之島」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 07:44 UTC 版)
『常陸国風土記』には、阿波の一帯を示すと考えられる地名として、信太郡の条に「乗濱」、行方郡の条に「安婆之嶋」が登場する。 「乗濱」は、信太郡の条にある「能理波麻乃村」の記述に登場する。倭武天皇が海辺を巡幸して乗濱に至った時、濱浦に海苔を乾かすものが多かったので、その村を「能理波麻」と呼ぶようになった。また「乗濱里」の東には四面絶海の「浮島村」があり、そこにいる百姓は製塩を業としていたという。 「安婆之島」は、行方郡の条にある建借間命の国見の記述に登場する。建借間命は「安婆之島」に宿営して、遙か海東の浦に烟を見つけ、天人の烟ならば我が上を覆え、荒賊の烟ならば海中に靡けと誓約をしたところ、海を射して流れたので凶賊(国栖)がいることを知った。建借間命が国栖を謀殺し、痛く殺すと言われたところを「伊多久之郷」、ふつと斬ると言われたところを「布都奈之村」、安く殺すと言われたところを「安伐之里」、吉く殺すと言われたところを「吉前之邑」と言うようになったという。なお、『標注古風土記』によれば、「伊多久」は「潮来」、「布都奈」は「古高」、「安伐」は古高にある「安波台」、「吉崎」は延方村の「江崎」で、いずれも「安婆之島」の対岸にあたる潮来市の地名になった。 阿波は『和名類聚抄』にいう「高田郷」(『新編常陸国誌』)又は「乗濱郷」(『大日本地名辞書』)に属した。『新編常陸国誌』に「上古は是郷の西南は、悉く葦原にて、深泥の地になり、東北は今の如く悉く流海なり、されば実に一島の如くなり、古へ安婆島といへるは、大概高田、乗濱二郷の地と見ゆ(今安場村、阿波崎村等の名あるを以て知るべし)」とあり、高田郷と乗濱郷の二郷が『常陸国風土記』にいう「安婆之島」であり、「乗濱」であったとしている。現在も稲敷市伊佐津から須賀津にかけては半島状もしくは島状の台地である。また行方郡の記述について、「これは安婆島より、内海を越て、板来へ渡りし由なり、今の阿波崎と板来とは、さし向へる地にて、方位よく合ひたれば、ここに安婆島と云へるは、高田、乗濱の地たること論なし」とし、建借間命の国見の地は「阿波崎」としている。『大日本地名辞書』は「古風土記に、安婆の島とあるは、此に対する浮島、もしくは阿波崎にあたらん」、『標注古風土記』は「此謂安場島者、疑浮島之地也。今浮島有安場明神社、祭神大己貴命。安場村亦祭之、里俗謂大杉明神也」とするなど、「浮島」とする見解もある。 ちなみに、『標注古風土記』の注記は、浮島に「安場明神社」があり、安場村に同神を祀る「大杉明神」があるという趣旨である。「安場明神社」については別段の「浮島之帳宮」の記述の注記に「浮島、干信太湖中、今有安場明神社、蓋是也」ともある。『標注古風土記』が「帳宮」に比定する「安場明神社」とは、現在の尾島神社を指すと考えられる。尾島神社は大名持乃命(大己貴命の別名)を主神とし、境内には「帳宮」の跡地を記念する石碑が建っている。安場村の「大杉明神」は、現在の大杉神社を指すと考えられる。
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