「久保発言」
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久保は次官時代の1976年2月9日、ロッキード事件の一因である次期対潜哨戒機(PX-L)の国産化が白紙還元された事件のいきさつについて「田中角栄首相の部屋に後藤田正晴官房副長官、相沢英之大蔵省主計局長が入って協議した結果で、防衛庁は知らされていなかった」と記者会見で語った。これは田中らがロッキード社の要請を受けて国産化を白紙還元したというニュアンスを持つため、大きな波紋を呼ぶこととなった(いわゆる「久保発言」)。 後日当時の状況を確認され久保の発言に誤りがあったことが明らかとなり、久保は坂田長官から戒告処分を受け、その後の記者会見において記憶違いを謝罪することとなる。特に内務省の先輩で、1974年の参院選落選(阿波戦争)以後、浪人として国政進出を目指していた後藤田はこの発言に激怒して、久保に事実関係を厳しく確認し、明確な謝罪を要求するに至った。久保が1976年半ばと比較的早い時期に次官を退任したのはこの「久保発言」が原因とも言われている。
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