「丼太郎」として復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:16 UTC 版)
破産管財人に取材した東京スポーツの記事によれば、2012年8月に牛丼太郎としての営業を停止する前に、当時残存していた5店舗のうち代々木店と茗荷谷店の2店舗を従業員が設立した別会社に譲渡したとしている。しかし、事業の譲渡が行われた経緯を示す書類が残っておらず、丼太郎として現存する2店舗が現在も深澤の財産であるのか正式に譲渡されたのかもはっきりしていないと報じていた。 茗荷谷店従業員に取材したハーバービジネスオンライン(扶桑社)、およびwithnews(朝日新聞社)の記事によれば、運営会社の倒産と同時に有志3名と株式会社丸光を設立、当初は茗荷谷店のみ運営を引き継ぐ予定であったが、思いのほか牛丼太郎で働きたい者が多かったことから、賃貸契約が切れるまで代々木店も運営を続けることになったという。「丼太郎」という店名については、なるべく予算をかけずに看板を変えようとした結果であるほか、牛丼太郎の面影を残すことにより懐かしく思って足を運んでくれる客への期待、および以前とは別会社であることをアピールするための苦肉の策などの理由があるとしている。開業にあたっては食材の仕入先から取引を断られたり、「運営会社が変わった」という理由で賃貸契約の結び直しや高額な敷金・家賃を求められるなど苦難があったとしているが、牛肉の取引業者やビルオーナーの協力により茗荷谷店の運営に成功していると報じられている。
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