「不易流行」レストラン・ウェディングへの業態転換
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「藤屋 (長野市)」の記事における「「不易流行」レストラン・ウェディングへの業態転換」の解説
皇族のほか伊能忠敬や伊藤博文、福沢諭吉、渋沢栄一など各時代の名士が通った長野屈指の名門旅館も、1998年(平成10年)の長野オリンピックの閉幕とともに転機を迎える。五輪特需後の宿泊施設の供給過剰や、北陸新幹線や高速道路開通に伴う日帰り客の増加は、藤屋にとっても大きな打撃となっていた。 その中で17代目当主となった藤井大史郎は、京都・東京の実例をもとに、旅館業の休業とレストラン・ウェディングへの業態転換を決断。歴史ある旅館を閉じることに女将ら周囲は反対したが2年かけ納得を得、2006年(平成18年)に旅館業を休業してレストラン・ウェディング業に特化し、「THE FUJIYA GOHONJIN」に改称した。藤屋の理念である「不易流行」の「不易」に当たるものとして古くからの建物・庭園を極力残し、「流行」に当たるものとして今まで希薄だった地元客の利用を業態転換により増やし、若い従業員の採用で新たなサービスの提供を図っている。 2012年(平成24年)には、藤屋の向かいにあり、同じく善光寺宿の老舗でありながら前年に廃業した五明館を改装。パティスリー&カフェ・藤屋別館「平五郎(HEIGORO)」として復活させた。この平五郎は、将来藤屋が旅館業を再開した時に、アメニティやスイーツのショップとして展開することを考えたものである。なお、「平五郎」は藤屋当主が代々襲名する名である。
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