「不来方」から「森ヶ岡」へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:53 UTC 版)
「不来方」の記事における「「不来方」から「森ヶ岡」へ」の解説
三戸城下から進出した時の南部藩主南部利直が「不来方」という名を「心悪しき文字」と忌み嫌ったため「森ヶ丘」と改名した。「森ヶ丘」が訛って「森岡」となり、南部重信が表記を「盛岡」と定めた。「盛岡」が城下町の名として用いられるまで、当地は「不来方」の名で呼ばれたと伝えられる。これは「永福寺」所在地の裏山が「森ヶ岡」と呼ばれたことに関わると見られる[要出典]。
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