「プロテスタント国家」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:44 UTC 版)
「アイルランドの歴史」の記事における「「プロテスタント国家」」の解説
詳細は「北アイルランドの歴史」を参照 1921年から1971年にかけて北アイルランドは東ベルファストに基盤を置くアルスター統一党政府により統治されていた。創設者のジェームズ・クレイグ(英語版)は北アイルランドを「プロテスタントによるプロテスタント国家」であると述べている。 カトリック教徒が被っていた就職や住居そして政治上の差別は多数派に有利な選挙システムにより成り立っていた。1960年代アメリカ合衆国における公民権運動の活発化により差別撤廃への関心が強まった。カトリックによるデモが右派ユニオニストの影響下にあるロイヤル・アルスター警察(RUC)により暴力を用いて鎮圧されたため社会不安が増加した。騒乱を鎮めるために英軍部隊が北アイルランドに派遣され現地の警察に変わり街の警備につくことになった。 紛争は血の日曜日事件と血の金曜日事件が発生した1970年代前半に頂点を迎えた。これらの北アイルランド問題は英語ではシンプルにThe Troublesと呼ばれている。紛争に対しなす術のないストーモント議会(北アイルランド議会)は1972年に閉会し翌年正式に廃止された。北アイルランドではIRA暫定派、IRA、INLA、アルスター防衛同盟、アルスター義勇軍、RUCと英軍が互いに攻撃・テロを繰りかえし、これらの事件による死者は3,000名にも及ぶ。テロは北アイルランドのみならず、イギリス、アイルランドにも伝播していった。
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