ごえもん‐ぶろ〔ゴヱモン‐〕【五▽右▽衛門風呂】
五右衛門風呂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 00:46 UTC 版)
五右衛門風呂(ごえもんぶろ)は、日本の風呂の種類の1つ。名前の由来は、安土桃山時代の盗賊石川五右衛門が京都の三条河原で釜茹での刑に処せられたところからと言われている。 『東海道中膝栗毛』には小田原の宿屋で、弥次さん喜多さんが五右衛門風呂に入る話がある。そこでは当時の五右衛門風呂の構造について「土釜のうえに直接風呂の桶を据え、底板は上に浮いている。入浴時は底板を足で底に沈めて入る。薪が少なくて済み、経済的である」と説明し、上方の形式であったとしている。弥次喜多はこの風呂の入り方を知らず、底板をとりのけて入ろうとしたため釜で足を火傷し、悩んだ末に便所下駄をはいて風呂に入る。喜多さんは下駄で踏みつけたあげく、釜を壊して大恥をかく。 江戸時代の『守貞漫稿』の居風呂の条に、「京坂専用は桶に底を付せず代㆑之に平釜を用ひ土竈の上に置㆑之で薪及び古材古器機朽木之類焚㆑之故に湯屋に不㆑与㆑之也此風呂を五右衛門風呂と号ることは昔の五右衛門なる者油煮の刑俗の釜煮と云ふに行るると云伝へ理相似たるを以て也」という。 2014年11月現在、五右衛門風呂は唯一の生産メーカーである広島県の大和重工で鋳鉄製のものが生産されている。厳密には、全部が鉄でできているものは「長州風呂」と呼び、五右衛門風呂は縁が木桶で底のみ鉄のものを指す。厚い鋳鉄製のため、比較的高い保温力が期待できる。 かつての日本の風呂場 日本式風呂桶(五右衛門風呂、長州風呂)と洗い場。洗い場に置かれているのは、脚つきのたらいと脚つきの洗面桶。洗い場からは一段上がった風呂桶にまたいで入る。風呂桶の縁は、桶からあふれた湯が洗い場側に流れ落ちるように、一段下がったしつらえになっている。画面右側の壁には、上段に薪をくべる穴と下段に薪が燃えた後の灰を掻き出す穴が穿たれている。この例では火勢が落ちないよう、レンガを穴に挿し込んで蓋をする構造になっている。水道がない時代は外部から湯桶に水をくみ入れたり、入浴後の風呂桶の残り湯を外へ運び出したり、外部で汚れた足を洗い流せるよう、洗い場から一段下がった部分は土間のたたきになっている。
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「 五右衛門風呂」の例文・使い方・用例・文例
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五右衛門風呂と同じ種類の言葉
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