髙萩洋次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/22 09:54 UTC 版)
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名前 | ||||||
愛称 | ヨウジロウ | |||||
カタカナ | タカハギ ヨウジロウ | |||||
ラテン文字 | TAKAHAGI Yojiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1986年8月2日(28歳) | |||||
出身地 | 福島県いわき市 | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ![]() |
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ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003 | →![]() |
4 | (0) | |||
2003-2014 | ![]() |
268 | (42) | |||
2006 | →![]() |
44 | (3) | |||
2015 | ![]() |
11 | (2) | |||
2015- | ![]() |
0 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2013- | ![]() |
2 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年6月6日現在。 2. 2013年7月28日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
髙萩 洋次郎(たかはぎ ようじろう、1986年8月2日 - )は、日本・福島県いわき市植田町出身[1] のサッカー選手。Kリーグクラシック・FCソウル所属。元日本代表。ポジションはミッドフィールダー。クラーク記念国際高等学校広島キャンパス卒業。
目次
来歴
クラブ
植田中学校入学と同時にJヴィレッジサッカースクールに通い、高田豊治[注釈 1] コーチから指導を受ける[2]。また、学校ではいわき市市大会で平一中に2対1で勝利し優勝に貢献した。その時からキックオフゴールを狙うなど非凡な才能を見せていた。
中学3年時に高田に誘われ[2]、2002年にサンフレッチェ広島ユースに入団[注釈 2]。2003年高校2年生時には、高校年代のサッカー界に旋風を巻き起こした広島ユースの中心選手として活躍、チームをクラブユース選手権優勝、高円宮杯3位に導く[2]。
また2003年、前田俊介、髙柳一誠、佐藤昭大とともにトップチームの2種登録選手となる。小野剛は若い高萩を評価し、同年4月5日J2第4節湘南ベルマーレ戦に初出場、16歳8ヶ月3日での出場となり当時のJ1・J2通じての最年少出場記録を更新する[注釈 3][3]。同年4月29日J2第9節対ヴァンフォーレ甲府戦には右サイドバックとして先発フル出場した。同年11月1日、シーズン途中にユースから昇格しトップチームとプロ契約し「クラブ史上初のプロの高校生Jリーガー」となる[注釈 4][4]。それと平行して、広島県立吉田高等学校から通信制のクラーク記念国際高等学校へ転校し卒業。
トップチーム昇格後、一時は先発メンバーに抜擢されプロ初ゴールを決めている[5] が、度重なる怪我や病気に泣き、また守備力を評価されなかったことから出場機会に恵まれなかった[6][7]。
2006年、出場機会を求めて田村祐基や森脇良太とともに、望月一仁率いる愛媛FCへレンタル移籍。すぐに中心選手として活躍し、J2昇格初年度の愛媛FCの躍進を支えた[8]。
2007年、広島に復帰。コンディションがなかなか上がらなかったこともあり当初ミハイロ・ペトロヴィッチはあまり評価していなかったが徐々に主力として評価しだし[9]、翌2008年森﨑和幸や柏木陽介ら主力MFに怪我人が続出したためトップ下として先発メンバーに定着、終盤には1トップに入る[10] など主力としてJ1昇格に貢献した[11]。以降、トップ下のレギュラーとして定着している。2010年ナビスコカップニューヒーロー賞受賞。
2012年、得点こそ4得点だったが、リーグ2位の12アシスト(トップは中村憲剛で13アシスト)を決める活躍で広島のリーグ初優勝に貢献し、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。2013年、背番号が10に変わった。
2015年1月14日、前年にAFCチャンピオンズリーグ2014で優勝し、かつて選手として広島に所属していたトニー・ポポヴィッチが監督を務めている、Aリーグ、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCへ完全移籍することが発表された[12]。2 月25日、AFCチャンピオンズリーグ2015の第1節で鹿島アントラーズと対戦し、1得点1アシストの活躍でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。
2015年6月6日、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCを退団したことをクラブの公式ウェブサイトで発表した[13]。Aリーグで11試合2ゴールを記録、ACLでは6試合で1ゴールをマークした。
2015年6月16日、FCソウルと契約を結んだことをクラブ公式HP上で発表した[14]。契約期間は2年6カ月となり、アジア枠での登録となる。
代表
2013年7月、東アジアカップ2013で初めてA代表に選出された。7月21日の中国戦で代表初出場を果たした。
人物
福島県出身としては初の日本代表選手[15]。2013年現在、広島における公式戦最年少出場記録保持者(16歳8ヶ月3日、2003年4月5日J2第4節対湘南ベルマーレ戦)。
非凡なボールコントロール能力を備え、豊富な運動量を基盤にあらゆる攻撃の場面に顔を出し、精度の高い長短のパスを駆使するファンタジスタ。[2][8][16] トップ下をメインにボランチや右サイドハーフをこなす。過去にはフォワードやサイドバック、リベロを経験している。
夫人は音楽プロデューサーのRina Moon。
- 東日本大震災
高萩の実家があるいわき市勿来地区は、太平洋の海岸線から約1キロメートル前後内陸に位置する[1]。2011年3月11日東北地方太平洋沖地震により発生した津波により、当時同市岩間町にあった実家は被災し1階部分はさらわれていた[1][15]。両親は助かったものの祖母は2015年現在も行方不明のままである[1]。高萩自身は広島の吉田サッカー公園で練習中だった[1]。なお2010年ナビスコカップニューヒーロー賞受賞の際に貰ったトロフィーは当時実家に置いており同様に被災したものの、後に家財に埋もれた状況で発見され補修復旧した実家に現在も飾ってある[17]。
2011年5月、現役Jリーガーを中心に支援団体「東北人魂を持つJ選手の会」が発足されると高萩も名を連ね、広島に避難した福島県民の支援など積極的な被災者支援活動を行なっている[1]。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 広島 | 35 | J2 | 4 | 0 | - | 0 | 0 | 4 | 0 | |
2004 | 26 | J1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | |
2005 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | |||
2006 | 愛媛 | 25 | J2 | 44 | 3 | - | 0 | 0 | 44 | 3 | |
2007 | 広島 | 15 | J1 | 3 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 11 | 0 |
2008 | J2 | 38 | 14 | - | 4 | 0 | 42 | 14 | |||
2009 | J1 | 27 | 5 | 4 | 0 | 2 | 1 | 33 | 6 | ||
2010 | 22 | 4 | 5 | 1 | 1 | 1 | 28 | 6 | |||
2011 | 31 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 35 | 2 | |||
2012 | 34 | 4 | 5 | 0 | 1 | 0 | 40 | 4 | |||
2013 | 10 | 31 | 3 | 2 | 1 | 6 | 2 | 39 | 6 | ||
2014 | 32 | 3 | 5 | 0 | 1 | 0 | 38 | 3 | |||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2014-15 | ウェスタン・シドニー | 10 | Aリーグ | 11 | 2 | - | 0 | 0 | 11 | 2 | |
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | FCソウル | Kリーグクラシック | - | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 184 | 22 | 27 | 2 | 19 | 4 | 230 | 28 | |
日本 | J2 | 86 | 17 | - | 4 | 0 | 90 | 17 | |||
オーストラリア | Aリーグ | 11 | 2 | - | 0 | 0 | 11 | 2 | |||
韓国 | Kリーグクラシック | - | |||||||||
総通算 | 270 | 39 | 27 | 2 | 23 | 4 | 320 | 45 |
- 2003年の試合出場時点では2種登録選手
その他の公式戦
- 2008年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2013年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | 期間通算 | ||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | AFC CL | AFC CUP | CWC | 期間通算 | ||||||
2010 | 広島 | 15 | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||
2012 | - | - | 3 | 0 | 3 | 0 | ||||
2013 | 10 | 5 | 0 | - | - | 5 | 0 | |||
2014 | 7 | 1 | - | - | 7 | 1 | ||||
2015 | ウェスタン・シドニー | 6 | 1 | - | - | 6 | 1 | |||
通算 | AFC | 20 | 2 | - | 3 | 0 | 23 | 2 |
出場歴
- アンダーカテゴリー
- Jユースカップ(2002年・準優勝)
- 日本クラブユース選手権(2003年優勝)
- 高円宮杯全日本ユース選手権(2003年・3位)
- 天皇杯(2002年)
- Jリーグ
- 公式戦初ベンチ入り 2003年3月29日 J2第3節対モンテディオ山形戦(広島スタジアム)
- 公式戦初出場 2003年4月5日 J2第4節対湘南ベルマーレ戦(平塚競技場)
- 73分高橋泰に代わって途中出場
- 公式戦初先発 2003年4月29日 J2第9節対ヴァンフォーレ甲府戦(広島スタジアム)
- 先発フル出場
- 以上は特別指定選手としての出場
- プロ初ベンチ入り 2004年4月3日 J1・1st第3節対ジェフユナイテッド市原戦(広島ビッグアーチ)
- プロ初出場 2004年6月26日 J1・1st第15節対ジュビロ磐田戦(ヤマハスタジアム)
- 36分田村祐基に代わって途中出場
- 初得点 2004年8月21日 J1・2nd第2節対セレッソ大阪戦(広島ビッグアーチ)
- 先発フル出場、83分ゴール
- Aリーグ
- 初出場初得点 2015年2月1日 第15節対メルボルン・シティ戦(メルボルン・レクタンギュラー・スタジアム)
- 先発出場、5分ゴール、77分ジョシュア・ソティリオと交代
代表歴
- アンダーカテゴリー
- アジアユース2002 U-16日本代表(2002年)
- 第8回国際ユースIN新潟 U-18日本代表(2004年)
- アジアユース2004 U-19日本代表(2004年)
- カタールアジア大会 (2006年)
- A代表
- 東アジアカップ2013(2013年)
試合数
- 国際Aマッチ 2試合 0得点 (2013年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2013 | 2 | 0 |
通算 | 2 | 0 |
タイトル
クラブ
- サンフレッチェ広島
- Jリーグ ディビジョン1:2回(2012年、2013年)
- Jリーグ ディビジョン2:1回(2008年)
- ゼロックススーパーカップ:2回(2008年、2013年)
個人
- ナビスコカップニューヒーロー賞(2010年)
- Jリーグベストイレブン:1回(2012年)
注釈
- ^ 元東洋工業(現サンフレッチェ広島)選手。当時Jヴィレッジの副社長であり、JヴィレッジSS創設に尽力した。
- ^ 同級生に前田俊介、髙柳一誠、桒田慎一朗、佐藤昭大、森脇良太、藤井大輔、大屋翼、冨成慎司
- ^ 2004年に森本貴幸がJ1最年少、2007年に菊池大介がJ2最年少記録をそれぞれ更新している。
- ^ プロ未契約ながら公式戦出場を果たした初のケースは森崎和幸
脚注
- ^ a b c d e f 毎日新聞2012年3月11日付
- ^ a b c d Natural MF15 高萩洋次郎 - ウェイバックマシン(2010年8月30日アーカイブ分) - サンフレッチェ広島公式(2009年6月25日)
- ^ “髙萩 洋次郎選手(広島)J2リーグ戦 最年少出場記録更新”. Jリーグ公式サイト (2003年4月5日). 2013年6月12日閲覧。
- ^ 高萩がプロ契約 - ウェイバックマシン(2003年11月21日アーカイブ分) - 中国新聞(2003年11月2日)
- ^ “連敗止めた 初先発の高萩、決勝弾”. 中国新聞 (2004年8月21日). 2013年12月19日閲覧。
- ^ 高萩、輝き戻る判断力 - ウェイバックマシン(2004年6月4日アーカイブ分) - 中国新聞(2004年5月27日)
- ^ “ゲストギャラリー 高萩洋次郎選手”. サンフレッチェ・ラジオ・サポーターズクラブ “GOA〜L” (2005年12月13日). 2010年1月28日閲覧。
- ^ a b 選手データベース - ウェイバックマシン(2009年12月15日アーカイブ分) - サッカーマガジン
- ^ 紫熊倶楽部2008年8月号
- ^ “ゼロトップ連係に課題 佐藤寿不在で柏木ら奮起”. 中国新聞 (2008年9月4日). 2013年12月19日閲覧。
- ^ J2完全優勝の軌跡<上> 継続と成長 - ウェイバックマシン(2010年5月2日アーカイブ分) - 中国新聞(2008年10月2日)
- ^ “広島の高萩、ウエスタンシドニーへ=J1”. 時事ドットコム (時事通信社). (2015年1月14日) 2015年1月14日閲覧。
- ^ Wシドニー、髙萩と田中の退団発表。契約満了でフリートランスファーに footballchannel 2015年6月6日
- ^ FCソウルが元日本代表MF高萩を獲得…6月までW・シドニーでプレーsoccerking 2015年6月16日
- ^ a b あぶくま抄(7月18日) - ウェイバックマシン(2013年10月2日アーカイブ分) - 福島民友 (2013年7月18日)
- ^ 選手情報 - ウェイバックマシン(2009年6月2日アーカイブ分) - number
- ^ "高萩洋次郎選手 被災地への思いを胸にふるさと福島で2014始動". 進め!スポーツ元気丸 2014年1月12日(日)放送分. 広島テレビ放送. 2014年1月14日放送. 2014年1月21日閲覧。
参考資料
- “大震災1年:サッカー サンフレッチェ、復興願いプレー 高萩洋次郎選手「よみがえれ古里、咲き誇るヒマワリのように」”. 毎日新聞 (2012年3月11日). 2012年3月12日閲覧。 [リンク切れ]
関連項目
外部リンク
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